古代ローマの通貨単位とは?

 

古代ローマの繁栄の理由の一つに商工業の発達があり、商工業の発達を支えたのが通貨の存在です。ローマでは紀元前3世紀頃から紀元3世紀頃まで、アウレウス(金貨)、デナリウス(銀貨)、セステルティウス(青銅貨)、デュポンディウス(青銅貨)、アス(銅貨)などの貨幣が使われ、流通を支えていました。

 

 

通貨の役割

また通貨には経済活性化以外にも重要な役割がありました。硬貨に彫られた図像や文字で、権力者の権威を高めたり、考えを広めるというもので、tresviri monetales(三人の造幣者)と呼ばれる硬貨に描く図像を決定する役職も存在しました。

 

長らく硬貨の肖像には造幣者の祖先が描かれるのが慣習でしたが、ユリウス・カエサルが存命中初めて硬貨に自分の肖像を描かせてから、皇帝が硬貨に自分の肖像を描かせる習慣が定着しました。

 

通貨の種類

アウレウス(金貨)

デナリウス銀貨25枚相当。紀元前1世紀から紀元4世紀初頭まで。金で製造されており、その純度は99パーセント。

 

デナリウス(銀貨)

前211年から。10アスに相当。徐々に品質が低下していき、アントニニアヌス銀貨に取って代わられた。銀で製造されており、その純度はローマの経済状況によって変化した。

 

セステルティウス(青銅貨)

共和政時代はとても小さな、ごくまれに造幣される貨幣に過ぎなかったが、帝政時代に入り大型となり、造幣量も増加した。徐々に品質が低下していき、アウレリアヌス(在位:270年〜275年)の治世を最期に造幣されなくなった。

 

デュポンディウス(青銅貨)

2アスに相当する真鍮の貨幣。共和政時代はほとんど造幣されなかった。

 

アス(銅貨)

共和政時代に初めて登場。表面にはローマ神話のヤヌスの胸像、裏面にはガレー船の船嘴が描かれていた。帝政時代になって従来の青銅から銅貨に変更された。

 

通貨の鋳造と流通

鋳造の技術

古代ローマの通貨は高度な鋳造技術によって作られていました。金属を溶かし、型に流し込んで硬貨を作るプロセスは、当時の技術の粋を集めたものでした。硬貨の製造には厳格な管理が行われており、品質や重量の統一が図られていました。

 

流通の仕組み

ローマ帝国全土にわたる広範な流通網が整備され、通貨は効率的に流通しました。ローマの主要都市には造幣局が設置され、地方にも硬貨が供給されました。また、ローマの商人たちは地中海全域で取引を行い、通貨の流通を支えました。

 

通貨の変遷と影響

経済の変動

ローマの通貨は経済の状況に応じて変遷しました。経済が繁栄している時期には通貨の品質が保たれましたが、経済が困難に直面する時期には通貨の品質が低下し、インフレーションが発生しました。これにより、経済全体に大きな影響を与えました。

 

社会への影響

ローマの通貨は経済だけでなく、社会にも大きな影響を与えました。通貨の使用は交易を活性化させ、都市の発展を促進しました。また、硬貨に描かれた肖像や図像は、ローマ市民の間で広く認識され、政治的プロパガンダとしても機能しました。

 

古代ローマの通貨は、その経済活動の中核をなす重要な要素でした。アウレウスやデナリウスなどの多様な貨幣が商業活動を支え、ローマの繁栄に貢献しました。また、通貨は経済だけでなく、政治や社会にも大きな影響を与え、ローマ帝国の統一と安定に寄与しました。ローマの通貨システムは、現代の貨幣経済の基盤を築いたと言えるでしょう。