マリア・テレジアとは何をした人?〜神聖ローマ皇帝位の維持・農奴解放〜

 

マリア・テレジアの基本情報

 

生年:1717年
没年:1780年
出身:ウィーン
死没地:ウィーン
別名:マリア・テレサ
功績:神聖ローマ皇帝位の維持・農奴解放

 

マリア・テレジア(1717年 - 1780年)はハプスブルク家オーストリア大公で、事実上の神聖ローマ女帝として知られる人物です。マリア・テレサとも。カール6世の長女として生まれ、1740年父の死にともない全ハプスブルク領を相続、事実上の神聖ローマ女帝として君臨します。彼女の相続に反対するフランス、プロイセンなどの介入からオーストリア継承戦争が勃発するも、大方の領地は維持し、夫フランツ1世を介して統治を続けていくことができました。なおその後継承戦争における失地・シュレージエン回復を目指した七年戦争では敗北を喫しています。

 

 

マリア・テレジアの功績

オーストリア継承戦争

マリア・テレジアの即位に際して、周辺諸国の反対からオーストリア継承戦争に発展しましたが、マリア・テレジアは事実上のこ戦争に勝利し、シュレンジェン以外の領土を維持した上で即位することがでいきました。彼女は後のオーストリア=ハプスブルク帝国の基礎を築いたともいえるでしょう。

 

啓蒙的政策の実施

マリア・テレジアは即位後、農奴解放や法制改革、軍制整備に産業育成など啓蒙主義的政策を推進し、オーストリアを近代的中央集権国家に変革しました。そのためマリア・テレジアは典型的な啓蒙専制君主の一人とされています。

 

マリア・テレジアの性格

マリア・テレジアは母親譲りの美貌を持ち、「小さなレースル」と呼ばれていました。明るく親しみやすい性格で市民から人気があったようです。そして大人になったマリアは順応性が高く、しっかり者。まだまだ女性が表舞台で活躍するのが難しい時代にあって、女帝として先帝から継承した帝国を力強く統率しました。

 

また当時の王族としては珍しく、夫フランツと恋愛結婚で結ばれたというのは、彼女の愛情深い性格を表しているのではないでしょうか。夫の浮気を知った上で容認し、夫の死後は豪華な衣装や装飾品を全て女官に与え、喪服だけの生活を送ったといいますから、並々ならぬ愛情を抱いていたのでしょう。

 

ただし身体障碍を持つ娘マリア・アンナを厄介者扱いして冷たく接するなど、薄情な面も持ち合わせていたようです。