フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州

州都トリエステのミラマール城

 

フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア自治州(伊:Friuli-Venezia Giulia)は、オーストリアスロベニアに隣接する、イタリア北東部に広がる州です。州都はトリエステ。イタリアにある5つの特別自治州の1つでもあり、北部山地の牧草地帯を背景とした良質な酪農製品の産出地として有名です。また歴史的にオーストリア領時代が長いため、ドイツ語話者が多いのが特徴です。

 

フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の時代変遷

 

古代

古代において、現在のフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州にあたる地方は、「ガリア・キサルピナ(ラテン語: Gallia Cisalpina)」(「アルプス山脈のこちら側のガリア」の意)と呼ばれる、北イタリア一帯を指すローマ属州の一部でした。紀元前181年に、ローマの東北国境を防衛する要塞として「アクイレイア」が建設され、この地方の中心都市として栄えるようになりました。ローマの名将ユリウス・カエサルはこの属州の総督に就任し、前50年、現在のウーディネ県東部チヴィダーレ・デル・フリウーリにあたる地域に、「Forum Iulii」(ユリウスのフォルム(広場)という意)と呼ばれる都市を建設しています。

 

近代

19世紀後半、イタリア統一運動(リソルジメント)の結果、イタリア王国が成立し、まもなくヴェネト地方も同王国に併合されます。ただ、現在のイタリア、スロベニアクロアチアにまたがる「ヴェネツィア・ジュリア」と呼ばれる一部地域は、オーストリア支配下にとどまったため、「外国支配のイタリア語地域=未回収のイタリア」として、イタリア王国にとってその奪回が悲願となりました。

 

イタリア王国の一部へ

第一次世界大戦でオーストリア帝国が敗れた結果、ヴェネツィア・ジュリアはイタリア王国へ割譲されることとなりました。しかしこの地域にはスロベニア系住民も多数居住していたため、第二次世界大戦後、この地方の領有をめぐりイタリアとユーゴスラビアは激しく対立してしまいます。最終的には1975年のオージモ条約で、両国に領土が分割されることになり講和にいたりました。