ポンペイウスとは何をした人?〜三頭政治の一角〜


ポンペイウスの基本情報

 

生年:前106年
没年:前48年
出身:ピケヌム
死没地:ペルシウム
別名:マグヌス(「偉大な」の意)
功績:地中海海賊の掃討

 

ポンペイウス(前106年 - 前48年)は共和政ローマ末期の政治家で、ローマ史上指折りの名将として知られる人物です。同盟市戦争参戦を皮切りに、シチリアやアフリカにおけるマリウス派討伐、奴隷反乱(通称「スパルタクスの乱」)の鎮圧、ローマの悩みの種だった地中海海賊の掃討など華々しい戦功をあげ、ポントス、シリア、パレスティナを併合し東方をがっつりローマの勢力圏に組み込んだことで彼の名声は頂点に達しました。さらに前60年以降はクラッスス、カエサルとともに三頭政治をはじめ、中央ローマを中心に権力の基盤を築いていったのです。しかしのちにカエサルと対立し、いわゆる「ローマ内戦」を繰り広げる、劣勢の中エジプトに逃れたところを同国の刺客に暗殺され生涯を終えました。

 

 

ポンペイウスの偉業・功績

海賊の掃討

前67年、ガビニウス法にもとづき、地中海を荒らしまわっていた海賊をわずか40日で掃討し、ローマの海(Mare Nostrum)に平和をもたらしました。

 

エジプト除くオリエント平定

前66年からポントス王国およびアルメニアの征服を命じられ、前63年までにエジプトを除くオリエント世界全域を平定しました。この偉業により、前年の海賊掃討の戦功と合わせ、ポンペイウスの名声は極限にまで高まりました。

 

三頭政治

前60年からカエサル、クラッススとともに三頭政治を開始し、ポンペイウスの権威とカエサルの権力、クラッススの富が合わさり、閉塞したローマ社会の改革を急速に推進していきました。

 

ポンペイウスとクレオパトラ

クレオパトラの父プトレマイオス12世は、前58年にエジプトで反乱が起こった時、ポンペイウスを頼りローマに亡命しています。この際に娘クレオパトラをともなったともいわれています。

 

ポンペイウスとカエサルのローマ内戦が始まると、ポンペイウスはエジプトの支援を得るために、姉のクレオパトラではなく、弟のプトレマイオス13世を支持しました。これでクレオパトラは首都を脱出せねばならなくなりますが、ポンペイウスはプトレマイオスに裏切られ、暗殺されてしまいます。この時クレオパトラを支持していたら、彼の運命は違ったものになっていたかもしれません。