1949年に中共政権が誕生して以降、中ソは同じ理想を持つ国同士、かなり強固な友好関係にありました。同年12月には毛沢東がロシアを訪れ、スターリンと会談を行っています。
モスクワにて、スターリンを訪問する毛沢東(1949年)
しかし1956年2月にフルシチョフが行ったスターリン批判をきっかけに、イデオロギーの違いが表面化。中ソ両国は対立するようになりました。
ソ連は1960年に経済技術援助協定を破棄し、同条約にもとづき中国に派遣していたソ連技術者を自国に帰還させています。
60年代以降はイデオロギー対立が激しくなり、中ソ論争と呼ばれる理論的対立が生じるようになります。
60年代といえば、終戦来の米ソ対立が沈静化した「雪解け」の時期にあたり、ソ連はアメリカとの平和共存を志向していたのに対し、中国は「アメリカがアジアを植民地にしている」として敵対的な姿勢を崩しませんでした。
さらに68年のソ連のチェコ侵攻以降は、中国はソ連を社会帝国主義と非難、逆にソ連は中国を反レーニン主義・反共主義と非難するようになり、お互いを「社会主義の敵」としてみるようになりました。この中ソ対立は、85年にゴルバチョフが大統領に就任するまで続きました。
|
|
|
|