マルコ・ポーロ(1254年頃 - 1324年)はイタリア・ベネチア出身の商人で、『東方見聞録』を書いた人物として知られています。1271年に父と共に東方へと旅立ち、中央アジアを経て、モンゴルの元にたどり着きました。
そこでフビライの側近として長年を過ごし、アジア各地を旅したのちに95年帰国。その後ジェノヴァとの戦争中に捕虜となり、獄中にて、24年にわたり東洋で見聞きしたことを記した『東方見聞録』を筆録させました。
これで東洋の事情がヨーロッパに伝わり、「フラ・マウロの世界図」の作成やコロンブスの航海に影響を与えたため、マルコ・ポーロの功績は非常に大きいといえます。なお異名は東西交易で莫大な富を築いたことから「イル・ミリオーネ」(イタリア語で「百万長者」の意)。
マルコポーロは1271年にイタリアを経ち、中国、モンゴルを旅して回り、1295年帰国後にその記録を記した『世界の叙述』(通称『東方見聞録』)を完成させています。
これにより東洋に関する知見をヨーロッパに広めたことが何より大きな功績といえるでしょう。「東方の富」を目指し、西ヨーロッパ諸国がこぞって大西洋に進出した大航海時代の準備をしたといえます。
そして大航海時代におけるアメリカ大陸の「発見」で有名なコロンブスも、マルコポーロの『東方見聞録』を見ていました。コロンブスは地球球体説を信じ、大西洋を西に進めばアジアにたどり着けると信じていたため、『東方見聞録』で得た知見が大西洋横断を決断する原動力になったと思えば、マルコ・ポーロは世界史にも絶大な影響を与えているといえます。
コロンブスは『東方見聞録』に記されている「黄金の国ジパング」、つまり日本に興味を示したといわれています。
『東方見聞録』は、マルコ・ポーロが東方旅行(イタリアから中央アジア〜中国への旅)において、見聞き、体験したことを記録した旅行記です。原題は不明であり別名として『世界の叙述』『驚異の書』などとも呼ばれています。
ヨーロッパにて各国語に翻訳され広く読まれ、アジアへの興味・探検心を高めたことで、アジア航路の開拓、すなわち大航海時代幕開けの誘因の一つとなりました。また日本が黄金の国ジパングの名で初めてヨーロッパに紹介された書でもあります。
『東方見聞録』はマルコ自身が執筆したのではなく、マルコが戦争中、捕虜としてジェノヴァに投獄されている時、小説家ルスティケッロに口述筆記させて完成させたものです。
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