ルイ14世(1638年 - 1715年)はブルボン朝のフランス国王で、絶対君主の典型とされる人物です。別名「太陽王」。1643年4歳で即位し、しばらくは宰相マザランが政治を担当。1661年新政開始後は中央集権化と重商主義政策、戦争による領土拡張に邁進し、フランスのヨーロッパ覇権を固め、王権神授説にもとづく絶対王政を完成させました。一方彼は、莫大な戦費でフランス財政を圧迫したり、ナントの王令を廃止し重要な労働力だったユグノーの国外大量脱出を招いたことで、フランス経済を悪化させ、フランス革命の導火線を引いてしまったという、功罪の極端な人物でもあるのです。
ルイ14世は絶対王政の典型的な体現者として知られます。ルイ14世はコルベールの重商主義のもと国富増大を推進し、それで得た利益で軍隊を強化し、中央集権化の徹底に努めたのです。その結果、「朕は国家なり」という有名な台詞が象徴するように、王が絶対的な権力を握る絶対主義体制が確立されたのです。
ルイ14世は巨額の費用と労働力を注ぎ込んで、バロック様式の豪華な宮殿ヴェルサイユ宮殿を建設しています。後にこの宮殿は当時の権力一極集中を象徴しているだけでなく、
など、いくつかの歴史的事件の舞台となったという点でも重要です。
ルイ14世の死因は壊疽(えそ)の悪化です。彼はかなりの暴飲暴食で、不健康な肥満に加え、慢性的な下痢や便秘に悩まされていました。晩年には不摂生がたたって深刻なほどに成人病が進み、脚の壊疽で歩くこともままならず、寝たきりの状態になっていたといいます。
太陽王と称され、戦争による領土拡大に邁進し、「陳は国家なり」と豪語した人物でも、死期が近くなり何か悟りを得たのでしょうか。死の間際、王太子を呼び、「戦争に明け暮れた私の真似をしてはならない。」と戒めたといいます。
しかし後悔するには遅すぎました。彼の死が伝えられると、戦費の重税に苦しめられた民衆は歓喜の声をあげ、葬列には罵声を浴びせられたと伝えられています。最後まで国民に愛され、多くがその死を惜しんだ祖父アンリ4世とは対照的です。
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