カラカラとは何をした人?〜ローマ市民権の拡大〜

カラカラ

 

カラカラの基本情報

 

本名:ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス
渾名:「カラカラ」
誕生:188年ガリア
死没:217年シリア
在位:209年 - 217年
王朝:セウェルス朝
先代:セプティミウス・セウェルス
次代:マクリヌス
政策:ローマ市民権の拡大

 

カラカラは3世紀に活躍したローマ皇帝で、ローマ市民権を拡大したアントニヌス勅令や、公共浴場の建設で有名な一方で、ローマ帝国史上指折りの「暴君」としても知られる人物です。ガリアのリヨン出身。治世の評価としては、政敵の暗殺や東方属州に対する略奪・虐殺など、古今通じてその暴政が強く批判される一方、212年アントニヌス勅令で属州含む、帝国内の全自由民にローマ市民権を与え、出自による差別を撤廃した意義は認められています。ちなみに「カラカラ」というのは本名ではなくあだ名で、彼が好んで来ていたガリア人の衣服に由来しています。

 

カラカラ帝の「アントニヌス勅令」とは

カラカラ帝は212年「アントニヌス勅令」を出して帝国の全自由民に市民権を与えていますローマ市民権を拡大し、帝国内の自由民を「国民」として支配下に置くとともに、相続税を拡大する意図がありました。

 

この勅令により属州民はローマ市民としての特権(属州民税の免除など)を得ると同時に、納税や兵役といったローマ市民としての義務も負うこととなったのです。そのためアントニヌス勅令は、帝国法がローマ法の基本法となるきっかけであったと考えられています。

 

「アントニヌス勅令」の名はカラカラ帝の本名マルクス=アウレリウス=アントニヌスに由来しています。