
「イタリア統一」──リソルジメントと呼ばれるこの激動の運動は、決してひとりの力では成しえなかったんです。理想を掲げる者、政治を動かす者、剣をとって突き進む者。そんな「三人の巨人」が、それぞれの立場からイタリアを一つにしようと力を尽くしました。このページでは、そのキーパーソンたちの個性と果たした役割を、わかりやすくかみ砕いて解説していきます。
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ジュゼッペ・マッツィーニ(1860年頃)
イタリア統一運動(リソルジメント)の土壌を創ったとされる政治家・思想家
出典:Giuseppe Mazzini / Unknown author CC0 Public domainより
リソルジメントの“精神的な炎”を最初に掲げたのがこの人。言葉と思想で革命を導いた先駆者です。
ジュゼッペ・マッツィーニ(1805?1872年)は、若くして秘密結社カルボナリに関わり、のちに「青年イタリア」という組織を立ち上げます。彼が求めたのは、君主制ではなく市民の自由と平等に基づく共和制によるイタリア統一。その思想は多くの若者に影響を与え、運動の「魂」となりました。
革命家として追われた彼は国外に亡命し、主にロンドンから出版活動や手紙を通じて革命の呼びかけを続けました。彼自身の計画はたびたび失敗に終わりましたが、その思想はのちの統一運動の“土壌”となったんです。
カミッロ・カヴール(1860?64年頃:Francesco Hayez画)
イタリア統一運動(リソルジメント)を主導し、初代イタリア王国首相となった名宰相
出典:Francesco Hayez?? Portrait of Camillo Benso, count of Cavour / Public Domainより
理想よりも現実、革命よりも外交──そんな冷静な戦略で統一を実現に近づけたのがこの政治家。
カミッロ・カヴール(1810?1861年)は、サルデーニャ王国の首相として経済の近代化・軍制改革・産業振興に努めました。さらにナポレオン3世と手を組んで第二次イタリア独立戦争(1859年)を成功させ、ロンバルディアの奪還に成功。冷静で計算された政治手腕で統一を引き寄せていきます。
カヴールはマッツィーニとは違い、王政主導の統一を目指していました。各地で住民投票を実施し、合法的にサルデーニャ王国への合流を進める手法は、まさに“現実主義の勝利”といえるでしょう。
ジュゼッペ・ガリバルディ(1861年:ナポリにて撮影)
イタリア統一運動の英雄“赤シャツ千人隊”を率いた革命家・軍事指導者
出典:Photographic print on carte de visite of Giuseppe Garibaldi (1807?1882), taken in Naples, Italy?/?Public Domainより
実行力で人の心をつかんだ戦士。この人がいなければ、南イタリアの統一は成しえなかったんです。
ジュゼッペ・ガリバルディ(1807?1882年)は、南米でゲリラ戦の経験を積んだ国際派の革命家。1860年、彼は義勇兵千人を率いてシチリア島に上陸し、そのままナポリ王国を撃破。数か月で南部を制圧してしまう驚異の行動力を見せました。
南部を征服したガリバルディは、なんとそれを無条件でサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に引き渡すんです。共和主義者でありながら、王政による統一に協力する姿勢は「無私の英雄」として人々の尊敬を集めました。
イタリア統一は、この3人の誰が欠けても実現しなかったんです。マッツィーニの「理念」、カヴールの「戦略」、ガリバルディの「行動」──それぞれが役割を分担しながら、ひとつの国をつくりあげたんですね。
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