



スパルタの伝説的指導者レオニダスの銅像
スパルタについて語られるとき、よく出てくる評価が「頭おかしい」という言葉です。
ただしこれ、決して悪口ではありません。むしろ──次元が違いすぎて、思わずツッコミたくなるレベル、という意味合いがほとんどなんですよね。
あまりにも徹底しすぎていて、「いや、そこまでやる?」と笑ってしまう感じ。
すごすぎる人や集団を見たときに、「頭おかしいだろ!」って言いたくなる、あの感覚です。
それと同じノリ。スパルタ、頭おかしい(=すごすぎる)んです笑
このページでは、なぜスパルタがそんなふうに語られるのか、その理由をひとつずつ見ていきます。
「なるほど、これは確かに……」と納得してしまう話ばかりなので、肩の力を抜いて読み進めてみてくださいね。
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酔ったヘイロータイを見せられるスパルタ少年
市民社会を支えたヘイロータイは、市民の数倍〜数十倍とも推定される。
支配維持のため、屈辱的な見せしめ教育に使われたとも伝わる。
出典:『Musee des Augustins - L'Education a Sparte』-Photo by Pierre-Selim Huard/Wikimedia Commons Public domain
スパルタの社会をのぞいてみると、まず目に飛び込んでくるのが人口構成の異様さです。
住民の約7割が奴隷で、市民は完全に少数派。数字だけ見ると、「これ、普通に逆転されない?」って思ってしまいますよね。
実際、かなり危ういバランスの上に成り立った社会でした。
自分たちより何倍も多い奴隷に囲まれて生活しているわけですから、反乱の可能性は常につきまとう。気を抜いた瞬間に、国家そのものが終わりかねない状況です。
だからこそ、スパルタは徹底しました。
市民には理不尽とすら感じる軍国主義教育を幼少期から叩き込み、常に「戦える側」であり続けることを求めたんです。甘えは一切なし。生き残るための訓練のみ。
少数精鋭で、多数を力で抑え込む──それがスパルタ社会の大前提。
この前提があるからこそ、あの異常とも言える教育制度が生まれたわけですね。
こうして見ると、「頭おかしい」と言われる理由も少し見えてきます。
過激なのは思想ではなく、生存条件そのもの。スパルタは、そういう世界で生きていたんです。

スパルタの食事情を語るうえで、絶対に外せないのが「メラス・ゾーモス」。
豚の足と血を煮込んで作るスープで、これがなんと主食として日常的に食べられていました。
……はい、この時点でだいぶ不穏ですよね。
しかもこのスープ、ただ変わっているだけではありません。スパルタを訪れた旅人が、「なるほど、これなら死を恐れなくなるわけだ」と言ってしまうほど、とにかく不味かったと伝えられています。
食事が苦行レベルだから、生きること自体への執着が薄れる──そんな感想が出てくる時点で、もう色々お察しです。
ではなぜ、ここまで食に無頓着だったのか。
理由はシンプルで、スパルタ人は「美食は人を堕落させる」と本気で考えていたからです。
おいしいものに慣れると心が緩む。心が緩めば、戦えなくなる。それは国家にとって致命的。
その結果、スパルタの食文化は発展どころか、ほぼ停止状態。
栄養が取れればOK、味は二の次。楽しさ?知りません。そんな世界です。
戦うために生き、食べることすら鍛錬の一部。
そりゃあ「頭おかしい」と言われますよね。でも、その徹底ぶりこそがスパルタらしさでもあるんです。

テルモピュライの戦い(紀元前480年)の絵画
300人のスパルタ兵が狭い峠で数万のペルシア軍を数日足止めしたといわれる戦いを描く。
300人の物語は誇張も含むが、抵抗の象徴として語られる。
出典:『Jacques-Louis David 004 Thermopylae』-Photo by Jacques-Louis David (1748 - 1825)/Wikimedia Commons Public domain
スパルタのエピソードの中でも、とくに「いやいや無理でしょ」と言いたくなるのが、この話です。
ペルシア戦争、テルモピュライの戦い。ここでスパルタは、侵攻してくる数万規模のペルシア軍に対し、たった300人で立ち向かいました。
数の差は、もはや比較にならないレベル。
普通なら戦う前から撤退案件です。ところがスパルタは逃げません。それどころか、地形を活かし、徹底的に戦い抜き、ペルシア軍を数日間も足止めしてみせたのです。
勝てないと分かっていても、役割を果たすために立ち続ける──この発想自体が、もう異次元。
生き延びることより、時間を稼ぐことを選ぶ。その判断が、あまりにも迷いがない。
この戦いでスパルタ兵の多くは命を落としました。
それでも彼らの行動は、後方にいたギリシア側の準備時間を生み、戦局全体に大きな影響を与えています。
300人で数万を止める。
理屈では説明できる部分もありますが、覚悟の重さは別問題。
そりゃあ「頭おかしい」と言われますよね。でも、それがスパルタという存在だったわけです。
いかがでしたでしょうか。
ここまで見てきた「頭おかしい」エピソード、どれもインパクト強めでしたよね。
ただ、これらはすべて偶然や気合論ではありません。
スパルタ人が徹底していた軍国主義と尚武の精神、この二つを土台にした結果として生まれたものなんです。
生き方そのものが、最初から戦う前提。だから判断も行動も、常に極端。
スパルタにとって「頭おかしい」=「普通とは違う」は、誇りそのもの。
他のギリシアのポリスと同じ道を歩まない。あえて一線を引き、異質であり続ける。その姿勢こそが、スパルタらしさでした。
現代の感覚で見れば、理解しがたい部分も多いです。
でも、だからこそ強烈に印象に残る。
「すごすぎて言葉が荒くなる」──そんな評価を受けるのも、ある意味では誉め言葉なのかもしれませんね。
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