ソ連はなぜ東欧に強い影響力をもっていたのですか?

第二次世界大戦中、ヨーロッパの大部分がナチスドイツに占領されましたが、大戦末期になると、西側からはアメリカによる、東側からはソ連によるナチス掃討・占領が行われました。その結果、戦後西側諸国はアメリカの、東側諸国はソ連の強い影響力に置かれるようになったのです。

 

そして西側諸国はアメリカの援助を得て自由主義経済圏を形成したのに対し、東側諸国(東ドイツ、ハンガリー、ブルガリア、ポーランド、ルーマニア、チェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィア)はソ連の援助のもと社会主義政権を次々と打ち立て、社会主義経済圏を形成するようになります。

 

1947年10月にコミンフォルム、1949年1月にコメコン、1955年5月にワルシャワ条約機構と、冷戦の進行にともないソ連を盟主とする東側の同盟が次々と結成され、東欧諸国はソ連の衛星国としての性格を強くしていきました。

 

しかし東欧諸国がソ連に絶対服従であったかといえば、そうではなく、1956年のスターリン批判以降は、ポーランドやハンガリーで反ソ暴動が起こったり、ルーマニアのように社会主義を志向しながら西側との有効路線をとる国(通称「東欧の異端児」)も現れます。

 

そういった動きに歯止めをかけようと、ソ連は制限主権論(ブレジネフ=ドクトリン)をかかげ、東欧諸国への統制を強めていきましたが、70年代末には自由競争のない経済体制の限界が露呈。

 

東欧では急速に民主化、脱ソ連の機運が高まっていき、89年には東欧革命により、共産主義政権が次々と崩壊。東欧諸国へのソ連の影響力は皆無に等しいものになり、91年のソ連崩壊に繋がっていくのです。