ジャック・タチとは何をした人?〜脚本や主演も兼任〜

 

ジャック・タチの基本情報

 

本名:ジャック・タチシェフ
前職:パントマイム芸人
誕生:1907年ル・ペック
死没:1982年パリ
代表作品:『左側に気をつけろ』『郵便配達の学校』『のんき大将脱線の巻』『ぼくの伯父さんの休暇』『ぼくの伯父さん』

 

ジャック・タチ(1907年 - 1982年)はフランスの映画監督で、監督するだけでなく、自ら脚本や主演を兼任する体制が特徴です。
パリ郊外のル・ペックに生まれ、パントマイム芸人としてキャリアをスタート。1932年から映画界入りし、『左側に気をつけろ』で脚本および主演デビュー。その後はしばらく俳優として経験を積んだ後、1947年単板映画『郵便配達の学校』で監督デビューしました。
1949年には『のんき大将脱線の巻』で長編映画デビューも果たし、ベネチア映画祭脚本賞を受賞。次いで『ぼくの伯父さんの休暇』(1953年)でカンヌ映画祭映画批評家連盟賞し、その続編であり初のカラー作品『ぼくの伯父さん』(1958年)でその名声を確固たるものにしたのです。

 

 

ジャック・タチの作品

『ぼくの伯父さんの休暇』

『ぼくの伯父さんの休暇』は、海辺に保養にやってきたユロが、行く先々で騒動を巻き起こすコメディ映画です。この作品の成功でタチは名声を得ました。原題は『ユロ氏の休暇』ですが、邦題がこのようになったのは、日本では次作『ぼくの伯父さん』のほが先に公開されたためです。

 

 

『ぼくの伯父さん』

『ぼくの伯父さん』は、前作『ぼくの伯父さんの休暇』のユロを、彼を叔父として慕う少年の視点から描いた作品です。第11回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。

 

 

『プレイタイム』

『プレイタイム』は、タチがその映画人生の集大作として、多額の資金をつぎ込んで製作した作品です。就活中のユロとアメリカ人観光客バーバラとの出会いを面白おかしく描いています。街丸ごとセットで製作され、1093億円という莫大な予算が投じられるなど、とにかく大がかりな作品でしたが、残念ながら興行的には失敗しました。