ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史年表

ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗

 

ボスニア・ヘルツェゴビナの国土

 

ボスニア・ヘルツェゴビナは東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和制国家です。国土はバルカン半島の根元に位置するボスニア地域とアドリア海に近いヘルツェゴビナ地域で構成され、気候区は北部のボスニアが大陸性気候、南部のヘルツェゴビナが地中海性気候に属しています。首都は第一次世界大戦のきっかけとなった「サライェヴォ事件」で知られるサライェヴォ。
この国ではとくに林業が発達しており、中でも松、カヤ、ブナなどの木材の生産がさかんです。また豊富な鉱山資源を背景にした鉱業もこの国の基幹産業となっています。
そんなボスニア・ヘルツェゴビナの歴史は、1377年にトヴルトコ1世によって建設されたボスニア王国から始まるといえます。ボスニア王国はその後オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国による支配を経て、第一次大戦後にユーゴスラビアの構成共和国となります。さらに第二次世界大戦後のボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国時代を経て、1992年にボスニア・ヘルツェゴビナ共和国として独立を宣言し現在に至る・・・というのがこの国の歴史のおおまかな流れです。ここではそんなボスニア・ヘルツェゴビナの歴史的歩みをもっと詳しく年表形式で振り返ってみましょう。

 

 

古代ボスニア・ヘルツェゴビナ

現在のボスニア・ヘルツェゴビナにあたる地域は、前1世紀から古代ローマによる支配下に入った。

 

中世ボスニア・ヘルツェゴビナ

6世紀 スラブ人の居住

 

1377年 ボスニア王国の成立

バルカン半島の中心部ボスニア地方を領土とする国家ボスニア王国が成立する。トヴルトコ1世(在位:1353 年 ? 1377 年)は「セルビアとボスニアの王」として戴冠を受け、彼の治世でボスニアはセルビアに代わるバルカン半島の盟主としての地位を確立した。

 

1465年 オスマン帝国による支配

コソボの戦いを皮切りにオスマン帝国のボスニア進出が始まり、1463年にボスニア王国は滅亡。1465年までにはボスニア全域がオスマン帝国の支配下に入った。

 

近世ボスニア・ヘルツェゴビナ

オスマン帝国支配のもと、ボスニアにおけるイスラム教化が急速に進行した。また現首都サラエボはオスマン帝国の中心地として繁栄した。

 

近代ボスニア・ヘルツェゴビナ

1831年 ボスニア蜂起

ボスニアでオスマン帝国に対する反乱が勃発。いくつかの戦いでは勝利したが、翌年までに鎮圧された。

 

1875年 ヘルツェゴヴィナ蜂起

ヘルツェゴヴィナにおいてセルビア人キリスト教徒によるオスマン帝国に対する反乱が勃発。反乱は他のバルカン諸国にも波及し、「東方大危機」を引き起こし、露土戦争へと発展していった。

 

1877年 露土戦争(〜78年)

ヘルツェゴヴィナ蜂起以降、バルカン諸国で勃発していたオスマン帝国に対する反乱を、ロシアが支援したことで、露土戦争が勃発した。ロシアの勝利と終わり、ボスニアに対するオスマン帝国の影響力が低下したと同時に、ロシアやオーストリアの影響力が増大した。

 

1908年 オーストリアによる支配

オーストリアは露土戦争後のベルリン会議で、ボスニア、ヘルツェゴヴィナのオスマン帝国主権下の施政権を獲得し、1908年には両地域を完全に自国領に組み込んだ。このことはセルビア人の反オーストリア感情を刺激し、大セルビア主義や汎スラヴ主義の増長に繋がった。

 

1914年 サラエボ事件/第一次世界大戦

現首都サラエボにて、オーストリア支配に反対するセルビア人民族主義者の青年に、オーストリア皇太子夫妻が暗殺されるサラエボ事件が発生。第一次世界大戦の口火となった。

 

1918年 ユーゴスラビア王国による支配

第一次世界大戦に敗れたオーストリア帝国(オーストリア=ハンガリー二重帝国)は崩壊し、ボスニア、ヘルツェゴヴィナは新しく成立したユーゴスラビア王国の一部となった。

 

1941年 ナチスドイツによる支配

第二次世界大戦中、ユーゴスラビアはナチスドイツを始めとする枢軸国軍に征服され、ボスニア、ヘルツェゴヴィナはドイツ傀儡のクロアチア独立国の支配下に置かれた。

 

1943年 ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国の成立

パルチザンにより枢軸国勢力が一掃され、ボスニアとヘルツェゴヴィナを統合したボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国が成立する。この国家はボスニア・ヘルツェゴビナの前身となった。

 

1946年 ユーゴスラビア連邦に加盟

1984年 サラエボで冬季オリンピック開催

1992年 国際連合に加盟

 

現代ボスニア・ヘルツェゴビナ

1992年 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(〜95年)

ボスニア・ヘルツェゴヴィナがユーゴスラビアからの独立を宣言。しかしボシュニャク人による支配にクロアチア人勢力が反発し、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争に発展した。紛争の中で暴行による居住地追放や虐殺といった民族浄化が繰り広げられた。

 

1995年7月 スレブレニツァの虐殺

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァにて、セルビア人のラトコ・ムラディッチ率いるスルプスカ共和国軍により、7000人以上のボシュニャク人が殺害される事件が発生。民族浄化の性格を帯びたジェノサイドは、人々の心に大きな傷を残し、後のボスニア・ヘルツェゴヴィナの民族融和の大きな障害となった。

 

1995年11月 デイトン合意

ボスニア・ヘルツェゴヴィナを、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦(ボシュニャク人・クロアチア人主体)とスルプスカ共和国(セルビア人主体)の2つの構成主体による連合国家と規定するデイトン合意が締結する。

 

1996年 日本との国交樹立

 

2000年 ユーゴスラビア連邦共和国との国交樹立

 

2004年 欧州連合部隊「アルテア」の活動開始

ボスニアにおける治安維持を目的として、EUが編成した欧州連合部隊「アルテア」が活動を開始する。

 

2016年 欧州連合(EU)加盟申請