保守反動的なウィーン体制に対する不満が高まる中、1848年2月フランスの民衆が二月革命を起こし、労働者主導の臨時政府を発足・共和政を成立させたことは、瞬く間にヨーロッパ各地の自由主義者・民族主義者のもとに伝わりました。
二月革命の影響は全ヨーロッパに波及していった。
そしてオーストリア、ハンガリー、ボヘミア、イタリア、ポーランドなどで二月革命の影響を受けた改革要求が発生し、政府との衝突から暴動や蜂起にまで発展します。いわゆる1848年革命(「諸国民の春」とも)により、ウィーン体制を主導していたオーストリアのメッテルヒが失脚し、1815年以来30年以上ヨーロッパを支配していた国際秩序は終焉を迎えました。
二月革命より始まる一連の社会改革により、ヨーロッパはいよいよ旧態依然とした絶対主義・封建主義的な世界観から脱し、近代民主主義社会へと舵を切っていくこととなります。
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