ローマ帝国史に残る「暴君」とは?

ローマ帝国の「暴君」といえば、第5代ローマ皇帝ネロ(在位54~68年)が有名ですが、「暴君」と呼ばれるのは、その権力欲にまみれた治世にあります。彼は初期こそ恩師のセネカはじめ側近らの助言によりそれなりの善政を敷いていましたが、しだいに残忍な性格をあらわにしていったのです。

 

ネロの暴君的行動一覧
  • 愛人ポッパエア・サビナにそそのかされ母を殺害
  • 妻オクタウィアを流刑ののち殺害
  • ローマ大火の罪をキリスト教徒にかぶせ残虐な方法で処刑
  • ローマ大火からの復興のため属州から苛烈に搾取
  • 「ピソの陰謀」に加担した疑いで恩師のセネカに自決を命じる

 

上述したようなネロの暴政ぶりに国内の不満は高まりますが、ネロは反対派を弾圧し、陰謀に加担したと断じた人物を次々と処刑しました。こういった容赦のなさも、血も涙もない暴君というイメージに拍車をかけています。

 

ただそのせいでのちに抑えきれぬ反乱を招き、ローマを脱出するはめになり、最終的には自殺に追い込まれています。

 

初期の善政を続けて入れば、「暴君」ではなく「名君」として歴史に名を残す可能性もあっただけに、自業自得とはいえ、惨め極まる最期に憐みの念を禁じ得ません。