
アポロン神殿の遺跡
Unsplashのsilversea氏撮影
アポロン神殿って名前は有名ですが、じつはギリシア各地やローマ世界にいくつも存在していて、その場所ごとに造りや歴史が違うんです。中でも有名なのが、デルフォイにあるアポロン神殿。ここは古代ギリシア人が「世界のへそ」と呼んだ聖地で、予言を授ける神託所として栄えました。丘の斜面に建てられた姿や、残された列柱のシルエットがとても印象的で、訪れる人に古代の空気を感じさせるんですよ。今回は、このデルフォイのアポロン神殿を中心に、「場所・環境地理」「特徴・建築様式」「建築期間・歴史」の3つの視点から深掘りしていきます。
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デルフォイのアポロン神殿は、パルナッソス山の南斜面、標高およそ500mの位置にあります。背後には険しい山々、前方には広大な谷とコリント湾が見渡せる、まさに神々の居場所といえる環境です。
神殿は急な斜面を利用して建てられ、段状の地形を活かした造りになっています。この立地は防御面だけでなく、訪れる者に荘厳な雰囲気を与えました。
周囲は山に囲まれ、簡単にはたどり着けない場所にあったため、旅そのものが信仰の一部となっていました。巡礼者は長い道のりを経て神殿にたどり着き、神託を受けたのです。
デルフォイは「地球の中心」とされ、ゼウスが放った2羽の鷲が出会った場所という神話もあります。この立地は、神殿を単なる建築物以上の存在にしていたわけです。
デルフォイの神殿は何度も建て替えられていますが、最終形はドーリア式建築の典型例といえます。
正面6本、側面15本の柱を持つ長方形平面が特徴で、外観は力強く簡素な印象。柱の直径や間隔は視覚的な美しさを意識して微妙に調整されていました。
神殿内部には「アディトン」と呼ばれる神託所があり、巫女ピュティアがアポロンからの言葉を告げました。この空間は一般人立ち入り禁止で、霊的な中心でした。
神殿の壁や柱には「汝自身を知れ」「過ぎたるは及ばざるが如し」など、アポロンの教えを刻んだ碑文が残っていました。これらは古代ギリシア人の精神文化にも深く影響しました。
デルフォイのアポロン神殿は、古代ギリシアの宗教と文化の中心地として、何百年もかけて何度も建て替えや修復を繰り返してきた建物です。その歴史には、自然災害や戦争、時代ごとの信仰の変化がしっかりと刻まれています。
最初の神殿が建てられたのは、紀元前7世紀ごろといわれています。最初は木造が中心で、今のような立派な姿ではありませんでしたが、紀元前6世紀には石造の大きな神殿へとグレードアップします。でも、火災や地震にたびたび見舞われ、特に紀元前548年の大火ではほぼ全焼。その後、デルフォイ同盟やリュディア王クロイソスの援助を受けて再建されました。
今見られる遺跡の多くは、紀元前4世紀の再建によるものです。このときは古典期らしいドーリア式のデザインが採用され、装飾や彫刻もとても凝ったものでした。アテナイやスパルタなど、ギリシア中の都市国家が資金や職人を送り込み、まるで「みんなで作った神殿」という感じ。正面の三角形のペディメントにはアポロンや神話の場面が彫られ、参拝に来た人々を圧倒したと伝えられています。
ローマ時代になっても、デルフォイは神託所として活躍を続け、皇帝たちもお参りに訪れました。でも、キリスト教が広まると信仰は急速にしぼみ、西暦4世紀末には皇帝テオドシウス1世の命令で正式に閉鎖されます。その後は土に埋もれ、ひっそりと眠りにつきました。19世紀末のフランス隊による発掘でようやく姿を現し、今では世界中から人が訪れる観光地となっています。
このようにアポロン神殿は、パルナッソス山の斜面に築かれた荘厳なドーリア式建築であり、古代ギリシア人の宗教観や政治にも影響を与えた聖地なのです。単なる神殿ではなく、神託を通じて都市の運命を左右する舞台であり、その歴史は信仰と権力、そして文化の交差点だったといえるでしょう。今でも残る石柱の列は、かつてここが「世界の中心」だったことを静かに物語っているのです。
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