大胆な改革でアテナイ民主政への道筋を敷いたソロン
古代ギリシアは、世界で初めて市民の多数が参加する民主制を成立させました。そのため「民主主義」というのは、古代ギリシアを文明の源泉とするヨーロッパ人を支える精神的支柱の1つになっています。
無論、まだまだ人権という概念が希薄だった時代ですから、「民主制」といっても成人の男性市民にしか参政権がないなど、現代と比較すればかなりの制限付きです。しかし一人の専制君主や少数の有力貴族による支配ではなく、市民の政治参加への道を開いた功績はやはり大きいといえるでしょう。
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世界に先駆けて、古代ギリシアで民主制が成立した理由としては、商工業の発達により、裕福な市民が登場したというのが大きいです。これにより裕福な市民が自前で武器を購入し、重装歩兵として軍隊に参加、国防に貢献するようになることで、政治参加への要求が高まっていきました。そうして貴族も要求を聞き入れざるを得なくなり、改革が進められていきました。
さらに民主制への移行を決定づけたのが、ペルシャ帝国のギリシャ侵攻を都市国家総出で食い止めたペルシャ戦争です。ペルシャ戦争ではとりわけ海戦が重視され、三段櫂船(かいせん)の漕ぎ手として、武器を変えない下層市民も重用されました。その結果、戦後戦勝に大きく貢献した下層市民にも政治参加の権利が認められ、古代ギリシアの民主制が完成したのです。
市民が政治討論をする集会エクレシア(民会)が定期的に開催され、自由に発言し、議論を交わすようになり、民主制が成熟していきました。
民主制で支持されるのは、弁論に長けた者でした。弁論術において重視されたのは、事実や証拠の指摘などではなく、いかに大衆に自分の考えを信じ込ませることが出来るか、でした。そのため扇動屋が支持される「衆愚政治」に陥りやすいという欠点もあり、プラトンやアリストテレスを始め、古代ギリシアの少なくない知識人は民主制に否定的でした。
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