ウィリアム1世と異母兄弟を描いたタペストリー
ウィリアム1世の基本情報
二つ名:「征服王」「庶子王」
誕生:1027年ノルマンディー公国
死没:1087年ノルマンディー公国
在位:1066年 - 1087年
王朝:ノルマン朝
政策:ノルマン・コンクエスト
ウィリアム1世(1027年 - 1087年)はノルマン朝の初代イングランド王で、ノルマンディー公としてイングランド征服(ノルマン・コンクエスト)を行い、ノルマン朝を創始したことで知られます。別名「征服王」「庶子王」。1035年没した父の後を継いでノルマンディー公となり、66年エドワード懺悔王が死ぬと、ウィリアムは懺悔王の遠縁にあたる自身に王位継承権があると主張し、イングランドに侵攻。同じく王位を主張した懺悔王の義弟ハロルド2世の軍を破り、「ノルマン・コンクエスト」を完了させたのです。このノルマン・コンクエストを機に、イングランドに大量のフランス文化が流入し、後のイギリス文化形成に重大な影響をもたらしました。また大陸的な封建制度がイギリスにもたらされ、統一国家の基礎を固められたことも重要です。
征服王ウィリアム1世は、ノルマン・コンクエストにより後世イギリスの政治・文化に絶大な影響を与えたために、イギリス史上でも屈指に重要な君主といえますが、その最期は呆気のないものでした。フランス遠征中に落馬し負った傷が原因で、フランス北部ルーアン近郊で死亡したのです。遺体はノルマンディーの教会で埋葬され、次男のウィリアムがウィリアム2世として王位を継承しました。
ウィリアム1世はフランス王フィリップ1世から「妊婦」とからかわれるほどの大変な肥満だったため、落馬時の衝撃が大きく、致命傷に至ってしまったと考えられます。葬儀の際に太った体を無理やり棺におさめようとしたために、ガスが充満したお腹が爆発し、あまりの異臭で参列者が全員逃げ出してしまったというエピソードまであります。
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