
フランスのブルボン家とオーストリア(神聖ローマ帝国)のハプスブルク家は基本的に対立関係にありました。15世紀以来、フランスとオーストリアの婚姻問題や、イタリア利権を巡る抗争(イタリア戦争)など、ヴァロワ家時代からの対立を継承したものといえます。
三十年戦争中、フランス(ブルボン家)とスペイン(ハプスブルク家)の軍が衝突したロクロワの戦い。ブルボン家は、カトリックという宗教的立場を脇において、ハプスブルク家と敵対するプロテスタント勢力を支援したほど、ハプスブルク家を敵視していた。
地方分権で統率能力には欠くハプスブルク家にとって、王権強化で急速に国内統一を進め、勢力を伸ばすフランス王家は脅威であり、また統一を進めたいフランスにとってもブルゴーニュ公国領を抑えるハプスブルク家は邪魔で仕方なかったのです。
1756年、長年ライバル関係にあった両家が七年戦争を前に同盟を結び、「外交革命」と呼ばれるヨーロッパの国際情勢に大きな変動が起こりました。プロイセンやイギリスという、さらなる大国が台頭してきたことが背景にあります。
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