フランソワ・トリュフォーとは何をした人?~愛のシネアスト~

フランソワ・トリュフォーとは

フランソワ・トリュフォーは20世紀後半のフランスの映画監督であり批評家であった。人間愛に満ちた作風から「愛のシネアスト」と称されたことで知られる。本ページでは、このあたりのバックグラウンドと後世への影響について詳しく掘り下げていく。

フランソワ・トリュフォーとは何をした人?~愛のシネアスト~


フランソワ・トリュフォーの基本情報

 

本名:フランソワ・ロラン・トリュフォー
異名:愛のシネアスト/フランス映画の墓堀人
誕生:1932年フランス
死没:1984年フランス
受賞:カンヌ国際映画祭監督賞
代表作品:『大人は判ってくれない』


フランソワ・トリュフォー(1932年 - 1984年)はフランスの映画監督で、映画監督としては「愛のシネアスト」、批評家時代はその辛辣さから「フランス映画の墓堀人」と呼ばれていました。
パリに生まれ、両親の離婚により孤独な少年時代を過ごし、やがてその孤独を埋めるように映画に没頭するようになりました。そして15歳の時、映画評論家アンドレ・バザンと出会い、ハザンの紹介で映画雑誌に寄稿しながら短編映画の制作に取り組むように。1959年に長編映画の第一作『大人は判ってくれない』を公開し、カンヌ国際映画祭監督賞しました。以来1年1作のペースで秀作を作り続け、国際的な名声を確立。ヌーベル・バーグ(新しい波)の代表者の一人となったのです。



フランソワ・トリュフォーの作品

『大人は判ってくれない』

『大人は判ってくれない』は、監督が手がけた最初の長編映画で、12歳の少年を主人公にした自伝的作品です。芸術のデパートの異名を持つジャン・コクトーが絶賛し、カンヌ国際映画祭では監督賞を受賞。この作品の成功を受け、トリュフォーの名が世界的に知られるようになりました。



『アメリカの夜』

『アメリカの夜』は、「パメラを紹介します」という映画を撮影している人々の人間模様を描いた群像劇です。アカデミー外国語映画賞を受賞。


『終電車』

『終電車』は、ナチス占領下のパリを舞台に、苦境の中文化を守ろうとする演劇人の姿を描いた歴史ドラマ映画です。数々の賞を受賞した監督最大のヒット作となりました。