大航海時代開幕にともなう「地理上の発見」とは?

 

大航海時代とは、ヨーロッパ人が大洋に飛び出し、未知の土地や航路を発見した「地理上の発見」の時代です。ポルトガルのセウタ攻略、バルトロメウ・ディアスによる喜望峰の発見、それを前提としたバスコ・ダ・ガマによるインド航路の開拓、コロンブスによる「新大陸」の発見などがそれにあたります。

 

ルネサンス時代の天文学・地理学・航海術の発達などが遠洋航海を可能にし、海外進出により利益が莫大であることがわかると、ヨーロッパに航海ブームが到来。数々の「地理上の発見」が行われたのです。

 

 

ヨーロッパ人による「地理上の発見」一覧

  • セウタ攻略(1415年)
  • 喜望峰の発見(1488年)
  • インド航路の開拓(1498年)
  • 新大陸アメリカの発見(1492年)
  • マゼランの世界周航(1519?22年)
  • オーストラリア大陸の発見(1606年)

 

地理上の発見の詳細

セウタ攻略(1415年)

セウタ攻略は、ポルトガルが北アフリカの要衝セウタを攻略した出来事です。これによりポルトガルは、地中海と大西洋を結ぶ貿易路の支配権を握り、さらに大西洋への進出の足掛かりを得ました。セウタの攻略は、ポルトガルの海上帝国の始まりを示す重要な出来事でした。

 

喜望峰の発見(1488年)

バルトロメウ・ディアスは、ポルトガルの探検家で、ヨーロッパ人として初めてアフリカ南端の喜望峰に到達しました。この発見により、ヨーロッパからインド洋へと直接航海する可能性が開かれました。ディアスの航海は、後にバスコ・ダ・ガマがインドへの航路を確立するための基礎となりました。

 

インド航路の開拓(1498年)

バスコ・ダ・ガマは、ポルトガルの探検家で、喜望峰を回りインドのカリカットに到達しました。この航海により、ポルトガルは香辛料貿易の利権を手に入れ、ヨーロッパとアジアの間の直接貿易が始まりました。インド航路の開拓は、ポルトガルを貿易大国へと押し上げ、ヨーロッパの経済に大きな影響を与えました。

 

新大陸アメリカの発見(1492年)

クリストファー・コロンブスは、スペイン王室の支援を受けて大西洋を横断し、アメリカ大陸に到達しました。彼はインドへの新航路を探していたものの、実際には新大陸を「発見」することとなりました。コロンブスの航海は、ヨーロッパによるアメリカ大陸の探検と植民地化の幕開けとなり、世界の歴史に大きな影響を与えました。

 

マゼランの世界周航(1519?22年)

フェルディナンド・マゼランは、ポルトガル出身の探検家で、スペイン王室の支援を受けて世界一周航海を開始しました。彼の航海隊は、南アメリカのマゼラン海峡を通り、太平洋を横断してフィリピンに到達しました。マゼラン自身はフィリピンで命を落としましたが、彼の部下たちは航海を続け、1522年にスペインに帰還しました。これにより、地球が球体であることが実証されました。

 

オーストラリア大陸の発見(1606年)

オランダの探検家ウィレム・ヤンスゾーンが、ヨーロッパ人として初めてオーストラリア大陸の沿岸に到達しました。彼の航海は、ヨーロッパ人によるオーストラリア大陸の探検と植民地化の始まりを示す重要な出来事でした。

 

「地理上の発見」という言葉はヨーロッパ人の立場にたった呼称であり、「発見」された側の立場を無視しているとして批判もあることは留意しておきましょう。

 

大航海時代の「地理上の発見」は、ヨーロッパの歴史にとって重要な画期となりました。これらの発見により、ヨーロッパの貿易、経済、文化に大きな影響を与え、世界の歴史を大きく変えました。しかし、これらの発見は同時に、発見された側の文化や社会に深刻な影響を及ぼしたことも忘れてはなりません。