
アレシアの戦いに敗れ、カエサルの前に降伏するガリア人の首領ウェルキンゲトリクス
ガリア戦争は、紀元前58年から紀元前51年にかけ、ガリア征服をもくろむ共和政ローマと、それに抵抗するガリア人との間で起こった戦争です。前52年アレシアの戦いにおけるローマ軍の勝利で実質的に戦争は終結しました。ガリアがローマ領になったことで、それまで地中海世界にとどまっていたローマ文化がさらに北方の地にまで浸透していくことになり、現ヨーロッパ世界の原型が完成しました。
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ガリア戦争の舞台となったガリアとは、ローマ北方に広大に広がる現在のフランス地域、その他ベルギー、スイス、オランダ、ドイツの一部などを含んだ地域です。この地域は古代ローマ崩壊後は、フランスの原型といえるフランク王国の勢力基盤になったため、フランスの民族主義者はしばしばガリア人を自称します。
ローマは建国当初よりガリア人の侵攻に手を焼いていましたが、地中海世界の内戦や対外戦争に追われ、内陸のガリア平定にまで手を回す余裕はありませんでした。しかし前1世紀に入り、ようやく地中海世界の征服を終えると、いよいよ本格的にガリア征服に動き出したのです。
ガリア人は様々な部族からなるまとまりのない集団でしたが、前52年、アルウェルニ族のウェルキンゲトリクスがそれを一つにまとめあげ、一致団結してローマに対抗するように。それまで比較的楽に占領を進めてきたローマですが、これを皮切りに大変な苦戦を強いられるようになりました。しかし長期戦になればなるほど、兵站と組織力で圧倒するローマに戦況が傾いていき、最終的にはアレシアの戦いでウェルキンゲトリクスを捕えられたことで、事実上ガリア連合の敗北と終わったのです。
ガリアがローマの勢力圏に組み入れられたことで、それまで地中海世界に留まっていたローマ文化が北西ヨーロッパにも広まり、現在のヨーロッパ世界の原型が形成されました。またガリア戦争の指揮をとったユリウス・カエサルは、その戦功により莫大な富と名声を得ましたが、前44年、彼にあらゆる権限が一極集中し共和政が崩壊することを恐れた元老院派により暗殺されています。
古代の戦争
ラティウム戦争/ペルシア戦争(サラミスの海戦,アルテミシオンの海戦)/ペロポネソス戦争/アッリアの戦い/カイロネイアの戦い/サムニウム戦争/ディアドコイ戦争/イプソスの戦い/ポエニ戦争(カンナエの戦い)/マケドニア戦争/ローマ・シリア戦争/ルシタニア戦争/ヌマンティア戦争/奴隷戦争/ユグルタ戦争/ノレイアの戦い/キンブリ・テウトニ戦争(アラウシオの戦い,アクアエ・セクスティアエの戦い,ウェルケッラエの戦い)/同盟市戦争/ミトリダテス戦争/ガリア戦争/パルティア戦争(カルラエの戦い)/ローマ内戦(ナウロクス沖の海戦)/アクティウムの海戦/エデッサの戦い
中世〜近世の戦争
ローマ略奪/ルーシ侵攻/百年戦争/イタリア戦争/ユグノー戦争/三十年戦争/フロンドの乱/ネーデルラント継承戦争/第二次百年戦争
近代の戦争
アメリカ独立戦争/フランス革命戦争/ナポレオン戦争/イタリア統一戦争/メキシコ出兵/エチオピア戦争/第一次世界大戦/イースター蜂起/アイルランド独立戦争/アイルランド内戦/ロシア内戦/シベリア出兵/スペイン内戦/第二次世界大戦/ホロコースト/北アイルランド紛争/ユーゴスラビア紛争
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