ウィリアム・シェイクスピアとは何をした人?〜ルネサンス文学最高峰の文豪〜


シェイクスピアの基本情報

 

生年:1564年
没年:1616年
出身:ストラトフォード=アポン=エイヴォン
死没地:ストラトフォード=アポン=エイヴォン
別名:「エイヴォンの詩人」
功績:傑出した才能で膨大な著作を残し、後世の文学・言語学に多大な影響

 

シェイクスピア(1564年 - 1616年)はイギリスの詩人・劇作家で、イギリス文学史上最も大きな功績を残した、ルネサンス文学最高峰の文豪として知られます。その計り知れない功績や影響力、人間の多様な悲劇・喜劇を表現した作品の価値を背景に、18世紀には「シェイクスピア学」という独立した学問が創出されるほどです。そんなシェイクスピアはエリザベス朝時代、イングランド中部のウォーリックシャーに、裕福な商人の息子として生まれるも、父が事業に失敗したため高等教育は受けずに青春時代を過ごしています。そして20歳に演劇界に入り、俳優経験を経て、劇作家に転身。その後は豊富な語彙と鋭い洞察眼にもとづく性格描写は他の追随を許さず、悲劇・喜劇・史劇の全ての分野で圧倒的な成功を納めたのです。

 

 

シェイクスピアの生涯

子供時代

シェイクスピアは1564年、イングランドのストラトフォードの裕福な家庭に生まれました。地元のグラマースクールで、文学的な教育を受けていたと考えられます。

 

結婚

18歳の時に8歳年上のアンと結婚し、3人の子供が生まれます。すくなくとも1585年までは、一家はストラトフォードにいたと考えられます。

 

劇俳優また作家としての活躍

1592年には、28歳になったシェイクスピアはロンドンにいて、俳優兼脚本家として活動していました。彼の書いた脚本や詩は当時の貴族たちからも高く評価され、次第に人気を集めてゆきました。そんな中1596年、「ロミオとジュリエット」を書き上げた年に、シェイクスピアの長男ハムネットが11歳で亡くなります。これがシェイクスピアのその後の創作にどう影響したか、研究者たちの間でも意見が分かれています。1603年には、イングランドの王位に就いたジェームズ1世がシェイクスピアの所属する劇団のパトロンとなり、国王一座となるほどの人気でした。シェイクスピアは俳優としても作家としても名声を確立し、経済的にも大きな成功をおさめました。1613年に引退してストラトフォードに戻るまでの比較的短期間の間に、シェイクスピアはおよそ40の戯曲を完成させました。

 

晩年

50歳手前のシェイクスピアはストラトフォードに戻り、53歳の時に亡くなります。彼の墓はストラトフォードの教会にあり、現在では主要な観光地の一つとなっています。

 

シェイクスピアにまつわる逸話・エピソード

謎多き人物

彼の作品は世界的に有名ですが、シェイクスピア個人については謎もたくさんあります。正確な誕生日もわかっていませんし、名前のスペルは記録に残っているものだけで80通りもあり、どれが正確なのかわかりません。また、21歳の時に彼は故郷の記録から姿を消し、28歳の時にイギリスで詩人として登場しますが、この7年間どこで何をしていたのかも謎に包まれています。シェイクスピアは18歳の時に8歳年上の女性と結婚し、20歳の時までに3人の子供がいましたが、この家族との関係についても良好だったとも険悪だったとも言われており、あまりわかっていません。

 

造語

シェイクスピアはおよそ3000の新しい英単語やイディオムを作ったと言われており、言語の発展に大きく貢献した作家だったことが分かります。シェイクスピアの劇の中の名ぜりふは、彼が幼少期から培った卓越した言語感覚から生み出されたものなのです。

 

商売上手

シェイクスピアの父親は、手袋職人として生計を立てていましたが、財を成して町長までつとめたほどの成功者でした。そのおかげでシェイクスピアは余裕のある子供時代を過ごし、文学の教育も受けることができたわけですが、シェイクスピア自身も商売上手でした。作家としての才能だけでなく、プロデューサーとしても才能を発揮して、莫大な収入を得ていました。高額納税者の特権として、彼の墓は教会の中に建てられ、現在でも手厚い世話がされています。

 

シェイクスピアの偉業・功績

現代英語の基礎を据えた

シェイクスピアの活躍した時期はちょうど、英語が公用語として用いられるようになって間もないころで、かつイングランドにおいて文化的な発展がめざましかった頃でした。その中で、読んで学ぶための文学や、政治・商業活動に用いられる公文書とは異なり、舞台で俳優が演じるための「劇脚本」を書くことに力を注いだシェイクスピアは、英語の表現力の幅を大きく広げました。彼は場面や人物の感情を劇的に表現するために、新しい単語を創出したり、既存の単語を組み合わせて新しいイディオムとして使ったりしました。シェイクスピアによって英語圏に広まった新しい単語の数はおよそ3000と言われており、18世紀に初めて英語の辞書が出版されることになった時にも、シェイクスピア作品が数多く参照、引用されたのです。

 

巧みな心理描写

シェイクスピア作品の大きな特徴は、巧みな言葉選びとストーリー構成によって描き出される、生々しい「人間」の姿です。人が人を愛するときや憎むとき、信じるときや裏切るとき、どのように心が動くのかを見事に描いていて、観て楽しめるだけでなく多くの学びも含まれています。変わらない人間の本質をよくとらえているので、国境を越え、時代をこえて人々に訴えかける作品なのです。

 

シェイクスピアの四大悲劇

ハムレット(1600)

四大悲劇の中で最も主人公に感情移入しやすく、シェイクスピア作品の入門におすすめされやすい作品です。主人公のハムレットは教養豊かな人望篤い王子様で、美しい恋人がいます。互いの裏切りと、日常的にあり得るちょっとした勘違いの積み重ねで、けっきょく登場人物全員が死ぬことになります。

 

オセロ(1604)

主人公オセロは、深く愛し合って結婚した妻が不貞を働いているという嘘を信じ、妻を自らの手で殺してしまいますが、後に真実を知って後を追います。ボードゲーム「オセロ」は彼の名をとっており、駒を黒人のオセロと白人の妻、そしてあちらへこちらへと寝返る人々の様子に見立てています。

 

リア王(1605)

8世紀ごろのイギリスに実在した国王リアのエピソードを悲劇的な展開にしたもので、当時はあまり人気のなかった作品です。リア王は自分の三人の娘たちのうち、心にもないおべっかを使って機嫌をとってくる上の二人の娘に跡を継がせることにし、まっすぐな気質の末娘を勘当してしまいますが、やがて二人の娘たちにぞんざいに扱われるようになります。末娘が父王を助けにやってきますが、二人とも死んでしまいます。

 

マクベス(1606)

主人公マクベスは、魔女の予言を受けて国王を弑逆し、友人までも手にかけて王位につきますが、心穏やかとは程遠い毎日が続き、やがて国王の遺児とその支持者たちに敗れて死にます。不当な方法で権力を手に入れた結果、かえって幸福から遠ざかった男の姿がテンポよく描かれます。これら四大悲劇を含め、シェイクスピアの作品はいずれも人間の本質をとらえた描写が見事で、400年の時を超えてもいまだに色あせない名作です。映画化されたものも多くあるので、様々な角度からシェイクスピアの世界を観賞できます。