大航海時代は、ヨーロッパ諸国が新たな航路を開拓し、世界各地への進出を進めた時代です。ヨーロッパとアジアの交易自体は、東地中海と「シルクロード」を通して行われていましたが、15世紀に入り東欧にオスマン帝国が台頭し、コンスタンティノープルが陥落したことで、ヨーロッパとアジアを結ぶ伝統的な交易路が阻まれてしまいます。
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ヨーロッパ人は新たな交易路を求めて大西洋へ進出し、その結果、バルトロメウ・ディアスによる喜望峰発見(1488年)、バスコ・ダ・ガマによるインド・カリカット到達(1498年)といった「地理上の発見」を成し遂げました。
これにより「インド航路」が開かれ、ヨーロッパとアジア間の「海の道」が確立され、香辛料貿易が活発になりました。ポルトガルとスペインを筆頭に、ヨーロッパ諸国はアジア貿易を独占しようとインド、東南アジアへの進出を開始しました。地中海沿岸のイタリア諸都市ではなく、大西洋沿岸都市のリスボンやアントウェルペンが大いに栄えました。
ヨーロッパ人はアジアに植民地を建設し、現地の政治や経済に大きな変化をもたらしました。植民地経済の確立により、現地の資源がヨーロッパへ流出し、ヨーロッパの経済が発展しました。一方で、アジアの伝統的な経済構造が破壊され、現地住民の生活にも大きな影響を与えました。例えば、ポルトガルはゴアやマカオなどの要所を支配し、貿易拠点として利用しましたが、その後、スペイン、オランダ、イギリスなどがポルトガルに取って代わり、アジア支配を強化していきました。
ヨーロッパ人の到来はアジア文化にも影響を与えました。例えば、ヨーロッパの科学技術や医学、宗教(特にキリスト教)がアジアに伝わり、現地の文化や生活様式に影響を及ぼしました。特に日本においては、鉄砲や火薬の導入が戦国時代の戦術を一変させました。また、キリスト教宣教師の活動により、多くの日本人がキリスト教に改宗し、宗教的影響も広がりました。
ヨーロッパ諸国のアジア進出は、一方的な支配や搾取を伴うものでしたが、それにより世界各地が結びつき、「世界の一体化」が進みました。この過程で、アジアはヨーロッパの影響を受けつつも、自らの文化や社会を変革し、新たな時代へと進んでいくことになったのです。
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