タレーランの基本情報
全名:シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール
誕生:1754年にて
死没:1838年にて
地位:外相
政策・実績:ウィーン体制の原則となる正統主義を提唱
タレーラン(1754年 - 1838年)はフランスの政治家・外交官で、復古王政期に活躍し、ウィーン体制の柱となる正統主義を提唱した人物として知られます。フランス革命においては立憲君主派だったため、ロベスピエールの恐怖政治が始まると、亡命を余儀なくされましたが、ロベスピエール失脚後は帰国し、総裁政府の外相に就任しました。
1799年には総裁政府に見切りをつけて外相を辞任。ナポレオンがクーデターで権力を掌握(ブリュメール一八日)すると、ナポレオン政権のもと再び外相となりました。しかしヨーロッパにおける勢力均衡や平和外交を重視するタレーランは、しだいに侵略に傾いていくナポレオンに失望し、1807年外相を辞任。ナポレオン失脚後、ルイ18世の復古王政のもと再度外相の任に戻り、ウィーン会議においては正統主義の原則を提唱し、ウィーン体制の原則として取り入れられることとなったのです。
タレーランの唱えた「正統主義」というのは、フランス革命前の主権と領土こそ正統と位置づけ、フランス革命前の絶対王政秩序、いわゆるアンシャン・レジーム(旧体制)への回帰を目指す思想のことです。復古主義とも呼び、ウィーン体制下において自由主義や民族主義運動を弾圧する理念的な根拠とされました。一時廃位されていたフランスとスペインにおいてブルボン王朝が再建されたのも、これらの王朝こそが正統王朝とされたためです。
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