ヘンリー3世(1207年 - 1272年)はプランタジネット朝のイングランド王で、1216年父の死により9歳で即位。しばらくは側近が政治を担当し、25歳から新政を開始しました。治世ではフランスの失地奪還にこだわり、諸侯に重税・献納金を課し遠征を強行するなど、マグナ・カルタを無視する姿勢が目立ちました。
しかしさしたる成果は出せず、シモン・ド・モンフォールら貴族に反乱を起こされ、権威を失う結果を招いています。結果的に以降のイングランドでは王権制限が進行し、議会制度が整えられていきました。またウェストミンスター寺院は彼が行った大改築により現在の姿になりました。
マグナ・カルタはヘンリー3世の父ジョン(欠地王)が承認した、議会が王権を厳しく制限する憲章です。イギリス立憲政治の基礎となったものですが、ヘンリー3世は父ジョン王が失った大陸領土の奪還に野心を燃やすようになり、軍備徴収、フランス遠征を強行など、あらかさまにマグナ・カルタを無視するようになりました。
しかし結局失った領土を取り戻すことは出来ないどころか、フランス王ルイ9世との条約でノルマンディやアンジューなど大陸領土の放棄を約束することとなり、祖父ヘンリー2世の築いたアンジュー帝国は消滅してしまいました。
対外政策の失態で威信を失ったヘンリー3世は、貴族の反発を抑えられなくなり、1265年マグナ・カルタを正式に承認するはめになりました。
|
|
|
|