フランス第一帝政の特徴

フランス第一帝政とは、1804年から1814年にかけて、軍人ナポレオン・ボナパルトが皇帝の地位に就き、フランス皇帝ナポレオン1世として国を率いた時代です。ナポレオンは統領政府の要職に就いて以来、社会・経済両輪での改革を推し進めており、その後ろ盾となる権力と軍事力をさらに強化すべく、第一帝政は開始されたといえます。

 

 

 

第一帝政の成立

第一帝政成立前のフランスは、89年から始まるフランス革命の混乱の中にありました。95年には政治的安定を図るべく総裁政府が発足するも、混乱はなかなか静まりません。さらに革命の影響拡大を恐れた周辺国からの圧力が高まる中、フランス国内からは、この状況を打破できるような強力な政府を求める声が高まっていました。そこで白羽の矢が立ったのが、イタリア遠征を始めとした対外戦争で輝かしい戦績を残していたナポレオン・ボナパルトだったのです。

 

ナポレオンの政権獲得

ナポレオンは総裁政府を打倒し(ブリュメール18日のクーデター)、新たに統領政府を発足させました。革命に終止符を打つとともに、数々の改革を進めようとしますが、その為にはまず混乱した社会をまとめあげる圧倒的な権力が必要でした。そして彼は対外戦争に連戦連勝することで、改革に必要な権力を着実に積み上げていき、それが頂点に達した1804年、皇帝ナポレオン1世として即位することで、第一帝政を開始するにいたったのです。

 

第一帝政の崩壊

ナポレオンは国民軍を中心とした軍事力を背景に改革を進め、一時は大陸ヨーロッパ全土を支配下に置くほどの勢いをもっていました。しかしある戦いを境にナポレオンは敗北の道をたどることになります。軍事力に権力を求めるということは、敗北が権威の失墜に直結するということでもあります。その敗北のきっかけとなったのは、ロシア遠征です。

 

ナポレオンの失脚

ナポレオン軍はロシア遠征で壊滅的な大敗を喫し、政治権力にも揺らぎが起こりました。これを好機と見た対仏大同盟は疲弊したフランスに追い打ちをかけるように攻勢を強めていき、ライプツィヒの戦い(諸国民戦争)でナポレオン軍を撃破。ついに首都パリへの進軍すら許してしまったナポレオンは退位に追い込まれ、エルバ島へと追放されてしまうのです。

 

ナポレオンの百日天下

ナポレオン失脚後、ブルボン家のルイ18世がフランス王として即位し、フランスは王政復古しました。しかしこの反動体制は国民の支持を得られなかったため、好機と見たナポレオンは、エルバ島から脱出し再度皇帝として舞い戻ります。しかしまたも、イギリス・プロイセンの連合軍にワーテルローの戦いで敗北し、エルバ島よりもさらに遠い絶海の孤島セントヘレナ島に追放。ナポレオンの返り咲きは百日天下に終わり、10年におよぶ「フランス第一帝政」は終わりを迎えることとなったのです。