ハプスブルク家は一時、フランスやイギリスを除く西ヨーロッパのほとんどの地域を手中におさめることになり、ハプスブルク帝国と称される大版図を築き上げました。
ハプスブルク帝国成立の要因
しかし神聖ローマ皇帝兼スペイン国王カール5世は、退位の際に、スペインは息子フェリペ2世に、オーストリアは弟フェルディナント1世に継承させたため、ハプスブルク家はスペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家に分裂することとなったのです。
スペイン王と神聖ローマ皇帝を兼ねたカール5世( 1500〜1558年)。彼の退位後ハプスブルク家は分裂した。
そしてスペイン・ハプスブルク家は、近親婚による遺伝性疾患を患ったカルロス2世(1661〜1700年)の代で断絶しているのに対し、オーストリア・ハプスブルク家は存続し、1918年まで中欧の支配者として君臨していました。
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