オーストリアとスペインのハプスブルク家の違い

オーストリア・ハプスブルク家のとスペイン・ハプスブルク家の違いを教えてください。

ハプスブルク家は一時、フランスやイギリスを除く西ヨーロッパのほとんどの地域を手中におさめることになり、ハプスブルク帝国と称される大版図を築き上げました。

 

ハプスブルク帝国成立の要因

 
  • 婚姻政策により、ハプスブルク家がスペインの王位継承権を得たこと。
  • 神聖ローマ皇帝であり、スペイン王でもあったカール5世が、マクシミリアン1世の死後、オーストリアをはじめとするハプスブルク家の領土を継承したこと。

 

ハプスブルク家の分裂

しかし神聖ローマ皇帝兼スペイン国王カール5世は、退位の際に、スペインは息子フェリペ2世に、オーストリアは弟フェルディナント1世に継承させたため、ハプスブルク家はスペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家に分裂することとなったのです。

 

スペイン王と神聖ローマ皇帝を兼ねたカール5世( 1500〜1558年)。彼の退位後ハプスブルク家は分裂した。

 

スペイン・ハプスブルク家は断絶

そしてスペイン・ハプスブルク家は、近親婚による遺伝性疾患を患ったカルロス2世(1661〜1700年)の代で断絶しているのに対し、オーストリア・ハプスブルク家は存続し、1918年まで中欧の支配者として君臨していました。