イギリスは立憲君主制とはいえ国王を頂点とする王政国家であったので、王政を打倒せんとするフランス革命は、イギリスの王党派にとっては嫌悪の対象でした。
ただその一方で、イギリスも王権神授説を否定し、市民革命で王を処刑した経験を持つことから、1793年ルイ16世が公敵として処刑されたことを受けても、オーストリア、プロイセンなど大陸ヨーロッパ諸国ほどの動揺はありませんでした。
そんなわけで、イギリスはその後第一次、第二次対仏大同盟に参加したものの、1792年から1799年にかけてのフランス革命戦争にはそこまで積極的に介入していません。
そしてナポレオン戦争後はウィーン体制の維持に協力しつつも、ラテンアメリカ、カリブ海諸国の独立支持、ギリシャ独立運動の支持など、フランス革命の思想的影響を如実に受けた自由主義的政策を推進するなどしていたのです。
ヴィクトリア女王の治世でイギリスは繁栄の頂点に達していた為、大陸ヨーロッパの影響を出来る限り排除した孤立主義的方針をとることが出来た。
イギリスは当時世界中に植民地を広げ、産業革命による工業発展も背景にあり繁栄の頂点にあったので、他国と同盟を結ばない「光栄ある孤立」という外交方針をとることができました。
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