東ゴート王国

東ゴート王国(Ostrogothic Kingdom)は、西ローマ帝国滅亡後の中世初期において、イタリアのほぼ全域を支配下においていた王国です。497年、元ローマ帝国副帝テオドリックにより成立。ゴート人とローマ人で支配体系を分ける「分離統治」を行いつつ、ローマ法は踏襲するなどし、ローマ文化の保護発展にも積極的に寄与しました。553年東ローマ帝国の侵攻を受けて滅亡。

 

東ゴート王国の歴史

成立

476年、ゲルマン人のオドアケルが西ローマ帝国を滅ぼし、旧帝国領の支配者として君臨。しかしその統治方法をめぐり東ローマ皇帝と対立し、493年、皇帝に仕向けられたテオドリックにより倒されます。そして497年、テオドリックが皇帝より「イタリア王」の称号を受けたことで東ゴート王国が成立したのです。

 

全盛期

テオドリックはその後、フランク王クローヴィス1世の妹を王室に迎え、自分の娘を西ゴート王国やブルグント王国に嫁がせました。このような婚姻政策で支配領域を広げていき、6世紀前半には、イベリア半島の大部分、フランスの一部、北アフリカの一部までを支配下に置く大版図を築き上げたのです。

 

滅亡

しかし東ゴート王国の増長は、フランク王国や東ローマ帝国との対立を招き、さらに自国でアリウス派信仰が強まったことで、ローマ教皇との関係も悪化してしまいます。その結果、6世紀半ばより東ローマ帝国(ビザンティン帝国)による侵略を受けるようになり、滅亡の運命を辿っていきました。

 

 
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