ジョン・レノンの基本情報
本名:ジョン・ウィンストン・オノ・レノン
所属バンド:ビートルズ
誕生:1940年
死没:1980年
遺作:アルバム『ダブル・ファンタジー』
ジョン・レノン(1940年 - 1980年)はイギリスのミュージシャンで、人気バンドビートルズのボーカルとして知られる人物です。リバプール出身。中学時代からギターバンド活動を開始し、1960年、「クオリーメン」(53年結成)を母体にビートルズを結成しました。そして62年「ラブ・ミー・ドゥー」、64年「抱きしめたい」の大ヒットを皮切りに、世界中にビートルズ旋風が巻き起こったのです。70年ビートルズ解散後はアメリカを拠点にソロで活動し、『イマジン』をはじめとする数々の平和ソングを作曲しています。75年から5年間活動を休止し、80年に再開するも、同年ニューヨークの自宅前で暴漢に銃撃され死亡しました。
第二次世界大戦中、アイルランド系の父とイングランド系の母との間に、リヴァプールにて生まれる。
ビートルズの母体となる「クオリーメン」を結成する。
「クオリーメン」をビートルズに改名する。
『ラブ・ミー・ドゥー』(1962年)、 『抱きしめたい』(1964年)の大ヒットで世界的なビートルズ旋風が巻き起こり、前年のグラミー賞受賞に続いて、エリザベス女王からMBE勲章を受賞した。
66年以来交際を続けていた前衛芸術家・小野洋子と結婚。
ビートルズは解散となり、メンバーは各々ソロ活動を行うようになった。ジョン・レノンはベトナム戦争反対の気運が盛り上がる中で、愛と平和を訴える歌を次々と書いた。
反戦歌『イマジン』を世に送り出し、世界的大ヒットとなる。
アルバム『ロックンロール』の発表を最後に活動を休止する。
活動を再開し『スターティング・オーバー』を発表するが、その後自宅マンション前で暴漢に銃撃され、出血性ショックにて死去。
ジョン・レノンの死因は自宅前で銃撃されたことによる出血性ショックです。病院に搬送された時にはすでに手遅れで、蘇生措置もむなしく息を引き取ったといいます。
出血性ショックとは、体内の血液が急速に失われることにより血圧が下がり、ショック状態に陥ること。人は30%以上出血すると死亡リスクが跳ね上がりますが、ジョンは4発の銃撃を受け、血液の80%以上失っていたというので、蘇生は絶望的だったのです。
なお殺害犯はマーク・チャップマンという、父親から虐待されるなど不遇の生い立ちを持つ精神不安定な男性で、ジョン・レノンの自伝を見て自分との境遇の違いに腹が立ち犯行に及んだと語っています。
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