宗教改革

宗教改革は、16世紀初頭から17世紀前半にかけヨーロッパを舞台に展開された宗教上の変革運動です。ローマカトリック教会から離反したプロテスタント(新教)を生み出し、キリスト教世界を二分するだけでなく、ヨーロッパ全域に政治・社会的な変革をもたらしました。

 

 

宗教改革の始まり

14世紀に始まったルネサンス運動をきっかけとして、カトリック的な世界観からの自由と解放を求める気運が高まっていたことが背景にあります。そんな中、1517年マルティン・ルターが「九十五ヵ条の提題」を発表し、法王の贖宥状 (免罪符)販売を批判したことが改革運動の引き金となったのです。

 

ルターは教会に破門されても「信仰のよりどころは教皇や教会ではなく聖書の言葉のみにある」とし、今のカトリック教会の体制は間違っていると攻撃し続けました。教皇権や教会法の権威を否定するルターの考えは、皇帝や教会に不満を抱いていたドイツ諸侯や農民からの支持を得て、徐々に勢力を広げていきました。

 

 

ルター以前のローマ教会の批判者にはウィクリフやフスが知られ、改革の先駆者とされています。


 

 

宗教改革の影響

宗教紛争の勃発

15世紀中頃に発明されたグーテンベルクの活版印刷術により、ルターによるドイツ語訳の聖書が大量に印刷・製本され出回りました。その影響で宗教改革運動は、神聖ローマ帝国(ドイツ)から、スイス、オランダ、スコットランド、フランス、デンマーク、スウェーデンとヨーロッパ全体に瞬く間に広がっていき、その結果、新教と旧教の対立による宗教紛争が続発するようになるのです。

 

有名な宗教紛争には、ドイツのドイツ農民戦争(1524年)、フランスのユグノー戦争(1562〜1598年)、イギリスのピューリタン革命(1642〜1649年)などがあります。

 

カルバン派の登場

宗教改革が進む中、ルター派から枝分かれしていく信仰もありました。中でも労働の尊さを説き、利潤追求を肯定、禁欲的な生活倫理を勧めるカルバン派の登場は重要です。カルバン派の思想は、中産階級に勇気を与え、資本主義の精神を育てることで近代ヨーロッパ世界の形成を準備したからです。

 

対抗宗教改革

カトリック教会も教会支配を脅かす改革運動に対抗し、トリエント公会議をはじめとする「対抗宗教改革」運動を展開し、多くの自己刷新が行われました。日本に初めてカトリックをもたらしたイエズス会はこの対抗宗教改革の中で設立されたものです。

 

宗教改革の終焉

アウクスブルクの宗教和議(1555年)において、ドイツ(神聖ローマ帝国)諸侯に信仰の自由が認められたことで、ドイツにおける宗教改革運動、それにともなう宗教対立には一応の決着がつきました。

 

しかしその後もルター派の広まりとともにヨーロッパ各地で新教と旧教の対立は続き、ドイツでも17世紀に入ると対立が再燃、最後で最大の宗教戦争といわれる三十年戦争(1618〜1648年)を引き起こしてしまいました。

 

この三十年戦争の講和条約ウェストファリア条約(1648年)が締結されたことで、ようやく本当の意味で宗教改革とそれにともなう宗教対立が終息したといえます。

 

 
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