イギリスと日本の関係

 

1600年に九州沿岸に漂着したオランダ船に乗組員としてイギリス人がおり、これが記録に残る最古の日本人とイギリス人の接触になっています。その後は以下の経緯を経て、現在にいたる日英関係の基礎が築かれていきました。

 

 

東インド会社を通じた交易

1613年にイギリス東インド会社との貿易が開始され、商館のある長崎平戸を通じて交流が活発化していきました。その後イギリスは貿易利権を巡りオランダに敗れ、平戸から去りますが、イギリス情勢はオランダ風説書を通しておおむね把握していました。

 

フェートン号事件によりイギリスへの関心が高まる

19世紀に入ると、ナポレオン戦争の影響で、イギリス船が日本近海に頻出するようになりました。そして1808年にフェートン号が長崎の港に不法入港する「フェートン号事件」が発生し、以来イギリスに対する関心が高まり、英語入門書や英和辞典などが刊行され、日本の英語学習が促進されたのです。

 

岩倉使節団の視察以来、政治的交流が活発化

イギリスと日本の政治的な関係が本格化したのは、明治時代に入ってからで、そのきっかけは岩倉使節団の派遣でした。ここで日本人が見たイギリスの先進制度・技術は、のちの日本改革の重要な指針となり、現在の日本の社会システムの基礎となっていったのです。