ペロポネソス戦争におけるアテナイの敗因とは?

ペロポネソス戦争におけるアテナイの敗因は何だったのですか?

アテナイの敗因は細かい部分を挙げると色々ありますが、一番大きな理由は疫病の蔓延と、それにより優秀な指導者を失くしてしまったことが挙げられるでしょう。疫病の蔓延は戦時中の前430年から始まり、翌年までに人口の3分の1が失われています。そしてその中にはアテナイ全盛期を築いたペリクレスも含まれていたのです。

 

戦時中の疫病蔓延により没したペリクレス。前444年から430年までの15年間も将軍職(ストラテゴス)を務め、アテナイの最盛期を築き上げた人物として知られる。

 

衆愚政治の蔓延

そしてペリクレス亡き後、支柱を失ったアテナイには衆愚政治が蔓延。主戦論者が市民を扇動し、せっかくスパルタ側が提案してきた和平の提案も、無理な要求をつきつけ蹴ってしまいます。そのうえ市民兵が没落し、金品欲しさにシチリア遠征という無理遠征計画を強行、その結果アテナイの主力であった海軍を壊滅状態に追いやってしまったのです。

 

またペロポネソス同盟側をアケメネス朝ペルシアが援助したことも、アテナイには大変な痛手でした。