ソクラテスとは何をした人?

ジャック=ルイ・ダヴィッド画『ソクラテスの死』(1787年)

 

ソクラテスの基本情報

 

生年:紀元前470年
没年:紀元前399年
出身:アテナイ
死没地:アテナイ
別名:哲学の祖
思想:無知の知

 

ソクラテスは、古典期ギリシアを代表するアテナイの哲学者です。「無知の知」「汝自身を知れ」などの思想で知られ、問答法により相手に無知を自覚させることで真理を探究することを目指しました。不敬罪で罪に問われ刑死する不幸な最期を遂げていますが、後世の西洋哲学に決定的な影響を与えた功績で「哲学の祖」と目され、釈迦・キリスト・孔子と並び四聖人に数えられるなど、今では世界中の哲学研究者の崇敬を集める存在です。

 

 

ソクラテスの思想

無知の知」は、ソクラテスの思想を象徴づける言葉で、自らの無知を自覚することが、真理にたどり着く唯一の道であるとする概念です。アポロン神殿の柱に刻まれた「汝自身を知れ」という格言のソクラテス流の解釈といわれています。確かに自分に知識がないことに気が付けないと、新しい知識を吸収しようという意欲も湧かないので、これは現代に生きる私たちも教訓にできる考え方といえますね。

 

このソクラテスの理不尽な死で、もともと政治家を目指していた弟子プラトンは、政界に絶望し哲学への道を志すようになりました。

 

ソクラテスの問答法のやり方

問答法とは、ソクラテスによって「無知の知」を実践するために発明された、「問答(質問、対話)によって相手に無知を自覚させ、真理の認識に導く」方法のこと。ギリシャ語で「ディアレクティケ」とも。相手が「知っている」と思っていることに対し、質問を繰り返すことで、説得や論破することなく「無知に気付いてもらう」ことを目的としています。

 

問答法の3ステップ
 
  1. 対話相手がある命題を主張する。こちらはその命題を「間違っている」という前提で、命題に関する質問を行う。(例:この世は金さえあれば何でも手に入ります。)
  2. 質問の中で同意を得る。(例:でも愛はお金では変えませんよね。)
  3. 相手が同意した命題は、最初の命題を否定することになると主張。相手は自分の命題が間違っていることに気が付く。(確かにお金では買えないものもありますね…。間違っていました。)

 

ソクラテスの弟子

プラトン

ソクラテスの弟子の代表格。ソクラテスの業績や人となりの大部分はプラトンの著作に依っています。ソクラテスの理不尽な死を受けて、政界に絶望。哲学の道を歩むようになり、「魂の想起(アナムネーシス)」「善のイデア」などの概念を提唱。哲学の学校アカデメイアを創設し、そこでアリストテレスを輩出しています。

 

クセノポン

クセノポンはプラトンに並び、ソクラテスに関する重要な資料を残した弟子の一人。アテナイ騎士階級の出身で、ギリシア傭兵としてペルシアの内戦で戦った経験を持ちます。『ソクラテスの思い出』『ソクラテスの弁明』を残しました。

 

アリスティッポス

アリスティッポスは、ソクラテスに師事した後、キレネ学派を創始した人物です。アフリカ北岸キレネ出身。人生の目的は現在を楽しむ為の肉体的快楽であるとする快楽主義を説きました。

 

ソクラテスの「悪妻」

ソクラテスの妻はクサンティッペと呼ばれる生没年不詳の女性です。ソクラテスの活動に無理解で、常に彼を軽蔑し罵っていたという話ことから、ヨーロッパでは古来より典型的な悪妻として語られてきました。

 

ある日怒ったクサンティッペに尿便の尿をぶっかけられるも、「雷が鳴ったということは、あとは夕立だな。」とユーモアで済ませてしまったというエピソードがあります。ソクラテスは「ぜひ結婚するといい。良い妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる。」と語っていたことから、悪妻がいるという状況をプラスに考えていたようです。

 

ソクラテスに尿便の尿をかけるクサンティッペ(オットー・ファン・フェーン画)

 

ただ現在は彼女の悪妻像は後世の誇張によるものと考えられ、実際の人となりはほとんどわかっていません。プラトンの著書『パイドン』では、ソクラテスの死刑を受けて取り乱すクサンティッペが描写されているので、夫への愛はあるし、今風でいう「鬼嫁」というだけで、そこまで悪い人ではなかった可能性もあります。

 

ソクラテスの著書がない理由

ソクラテス自身は著書を残していないので、彼の業績、人となり、思想などは弟子プラトンやクセノポンの残した資料に依存しています。つまり現在に伝わるソクラテス像は全てこれら弟子のフィルターを通したものなので、彼自身による筆記がないことは、ソクラテス研究の上で障壁になっているのです。

 

ではなぜソクラテスは何も著書を残さなかったのでしょうか。これは音や抑揚、細かい感情の機微を含まない「書き言葉」は「死んだ言葉」であるとソクラテス自身が唾棄していたためです。だから彼は自分の精神・思想を文書に書き記すことは頑なにしませんでした。

 

そしてソクラテスは「無知の知」を唱え、「対話」により真理を追求することを重視していたので、書物というものをそもそも必要としていなかったのです。

 

ソクラテスの死因

ソクラテスの死因は服毒死です。彼はその思想から「古来よりも神々を否定し、青少年に悪影響を与える」として、不敬罪で裁判にかけられ、死刑判決(毒殺刑)を言い渡されました。しかしソクラテスは「ソクラテスの弁明」を行い、自説の放棄や謝罪を拒否。逃亡の機会があったにも関わらず「単に生きるのではなく、善く生きる」として死を受け入れ、弟子に最後の言葉を伝授した後、ドクニンジンの杯をあおり死亡したのです。

 

ソクラテスの生涯

前470年頃 誕生

彫刻家の父と助産婦の母の子として、アテナイのアロペケ区にに生まれる。

 

前431年 ペロポネソス戦争の勃発

アテナイとスパルタによるペロポネソス戦争が勃発する。ソクラテスはポテイダイア攻囲戦やデリオンの戦いに重装歩兵として参加した。

 

前399年 死亡

不敬罪で死刑宣告を受けて、服毒死。推定没年齢71歳。

 

前388年頃 『ソクラテスの弁明』の執筆

弟子のプラトンにより、理不尽な告発に対するソクラテスの反論・弁護をまとめた『ソクラテスの弁明』が執筆される。