チャールズ1世とは何をした人?〜清教徒革命の誘発〜


チャールズ1世の基本情報

 

生年:1600年
没年:1649年
出身:スコットランド
死没地:イングランド
政策:専制政治の推進,清教徒革命の誘発

 

チャールズ1世(1600年 - 1649年)はステュアート朝第2代イギリス王で、清教徒革命を引き起こしたことで知られる人物です。1625年王位を継承し、即位後は王権神授説にもとづき、議会無視の専制政治を推し進めました。議会の反発から1628年「権利の請願」を泣く泣く承認するも、結局は議会を解散し、無議会の専制政治を11年も貫きました。議会との対立が極まっているところ、スコットランドに国教を強制したことによる反乱を口火とし、ピューリタン革命が勃発。チャールズ1世はクロムウェル率いる議会派に敗れて、1649年「人民の名において」イギリス史上初めて処刑された王となりました。

 

チャールズ1世の処刑方法

清教徒革命による内戦に敗れた結果、チャールズ1世は捕らえられ、1649年1月27日裁判で暴君・反逆者・殺人者・公敵として断じられた上で斬首の刑を宣告されました。そして刑はその3日後、1月30日執行となり、ホワイトホール宮殿のバンケンティングハウス前で公開処刑となったのです。チャールズ1世の処刑によってイングランドは一時的に王政を廃止し、共和政に移行しました。

 

イングランド史上、チャールズ1世の処刑に関わった人物を「レジサイド」と呼びます。レジサイドは王政復古後、新たに戴冠したチャールズ1世の息子、チャールズ2世から厳しい報復を受けました。