ラテンアメリカは、アメリカ大陸南部地域の総称で、かつてはインディアスと呼ばれていました。ヨーロッパ人の進出前(先コロンブス時代)、メソアメリカ文明・アステカ文明・インカ文明など高度な神殿文化を持つインディオ文明が存在していたことからです。
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1492年、スペイン王室の援助を得たコロンブスがこの地を「発見」。その後、ヨーロッパ諸国による積極的な探検と征服が始まりました。1521年にはコルテスがアステカを、1532年にはピサロがインカ帝国を征服するなど、スペインによるラテンアメリカ支配は1820年代の独立までおよそ300年間も続くことになります。また、スペインと同じく大航海時代の先駆けとなったポルトガルは、ブラジル東端の支配権を確立し、砂糖プランテーション事業を開始しました。
大航海時代に始まるヨーロッパ人による300年間もの植民地支配で、ラテンアメリカの先住民の都市、伝統文化は破壊され、言語・文化・宗教面でヨーロッパ化が進行しました。とりわけ支配権を握っていたスペインの文化が強く根付き、現在ラテンアメリカ諸国の多くがスペイン語を公用語にしているのはそのためです。
しかし、完全に全てがヨーロッパ化したわけではなく、先住民文化の要素も残り、ラテンアメリカはヨーロッパと非ヨーロッパ文化圏の要素を併せ持つ特異な地域となっています。例えば、現地の先住民の伝統や慣習が混じり合ったカトリック教の信仰や、先住民の技術を取り入れた工芸品などがその証です。
ヨーロッパ人による植民地経営は、ラテンアメリカの経済構造にも大きな変化をもたらしました。スペインやポルトガルは金銀鉱山の開発や、大農園(エンコミエンダ制)による農業生産に力を入れました。これにより、ラテンアメリカはヨーロッパへの原材料供給地としての役割を担うことになりました。
ヨーロッパ人は大農園や鉱山での労働力として、最初は先住民のインディオを使役していました。しかし、過酷な労働条件とヨーロッパから持ち込まれた感染症により先住民の人口が激減。労働力不足を補うために、アフリカから大量の黒人奴隷が連れてこられました。この「奴隷貿易」による黒人の流入は、ラテンアメリカの社会構造を大きく変えました。
今日のラテンアメリカ社会は、先住民、ヨーロッパ人、アフリカ人の血が混じり合った多民族社会となっており、それぞれの文化が融合した独自の文化が形成されています。例えば、ブラジルのカポエイラやサンバ、キューバの音楽とダンス、カリブ海諸国の食文化など、アフリカの影響が色濃く残っています。
ヨーロッパ人はラテンアメリカの征服と同時に、カトリック教会の布教活動を積極的に行いました。これにより、先住民はカトリック教に改宗させられ、キリスト教の教義と儀式が広まりました。しかし、先住民の信仰や儀式も完全には消滅せず、カトリックの儀式に先住民の伝統が融合した独自の宗教文化が形成されました。
例えば、メキシコの「死者の日」の祭りは、カトリックの万聖節と先住民の死者崇拝が融合したものであり、今日でも広く行われています。
ラテンアメリカにおける大航海時代の影響は、多岐にわたります。ヨーロッパ人の進出と植民地支配により、ラテンアメリカの先住民文化は大きな変容を遂げ、ヨーロッパ文化との融合が進みました。また、黒人奴隷の流入により多民族社会が形成され、その結果、独自の文化が生まれました。これらの変化は、現在のラテンアメリカ社会と文化に深い影響を与えています。
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