ルーマニアと日本の関係史

ルーマニアと日本の関係史

ルーマニアと日本の関係史は、20世紀初頭の国交樹立を経て、社会主義期の往来と体制転換後の経済・文化協力へ続く関係である。黒海とバルカンを結ぶ地政的位置や石油・自動車関連分野が接点となり、音楽・体操を含む文化交流が相互理解を支えた。本ページでは、ルーマニアのワラキア・モルダヴィアの歴史や社会主義体制、体制転換とEU統合などを理解する上で重要なこのテーマについて、より詳しく探っていこうと思う。

ルーマニアと日本の関係


ルーマニアは長らくオスマン帝国の支配下でしたが、露土戦争(1877~78年)の講和条約として結ばれたサン・ステファノ条約とベルリン協定により政治的独立を得て、1881年にはルーマニア王国が樹立されています。日本との正式な外交樹立は、それからしばらくたった1917年のことで、1921~22年には互いの国に公使館を開設しています。


第二次世界大戦中の関係

第二次世界大戦では同じ枢軸国でしたが、1944年にソ連の軍事侵攻を受けて政権が転覆し、連合国となり、それにともない日本との国交も断絶しています。


第二次世界大戦後の関係

第二次世界大戦で途絶えていた国交は1959年に回復し、1964年には両国とも公使館が大使館に格上げしています。


近年だと、ルーマニアの由緒ある演劇祭シビウ国際演劇祭に、毎年のように日本の劇団も参加し、日本文化人が招待されるなど、文化交流もさかんになっています。