ラファイエットとは何をした人?〜フランス人権宣言の起草〜

 

ラファイエットの基本情報

 

全名:ラファイエット侯爵マリー=ジョセフ・ポール・イヴ・ロシュ・ジルベール・デュ・モティエ
異名:両世界の英雄
誕生:1757年
死没:1834年
政策・実績:アメリカ独立戦争に参加し勝利に貢献、フランス人権宣言の起草、七月王政の成立に貢献

 

ラファイエット(1757年 - 1834年)はフランスの軍人および政治家で、義勇兵としてのアメリカ独立戦争への参加や、フランス革命後の人権宣言起草などの功績で知られます。オート=ロワール県の貴族出身。アメリカにおいてラファイエットは一国の利益ではなく、人類の自由のために尽力した人物として称えられており、2002年にはアメリカ合衆国名誉市民の称号が与えられています。

 

ラファイエットの思想

ラファイエットの政治志向は急進にも反動にも走らないバランス型でした。フランス革命を支持していたものの、あくまで議会と王権のバランスをとる立憲君主制支持という立場だったので、共和派とは対立しています。またナポレオンの好戦的帝政にも、ルイ18世の反動的復古王政にも反対の立場をとり、1830年には復古王政打倒の七月革命を支持し、七月王政の成立に貢献しているのです。

 

ラファイエットとフランス人権宣言

ラファイエットはフランス革命期において、フランス人権宣言(正式名称:人間と市民の権利の宣言)の起草を行ったことでも知られます。彼はフランス革命勃発後は、貴族の身分でありながら革命を支持し、国民衛兵(ガルド・ナショナル)として革命運動に貢献。その流れで人権宣言の起草を任され、革命の精神を明文化したのです。

 

アメリカ独立宣言をモデルとして作成し、自由・平等・抵抗権・法の支配・国民主権・権料分立・私有財産の不可侵など近代憲法の精神を盛り込みました。つまりラファイエットはフランス革命の中核となった人物といえますが、彼は革命勢力の中では穏健派で、完全な共和制よりも立憲君主制を理想としていたため、共和派との対立の中しだいに立場を失っていきました。