ルイ16世(1754年 - 1793年)はブルボン朝のフランス国王で、フランス革命の末にギロチンにかけられ処刑された人物として有名です。
1774年の即位後は慢性的な財政難に対処すべく、免税特権廃止・課税平等化など財政改革に意欲をみせるも、既得権益層の反発にあい挫折。次いで全国三部会を招集するも、議決方法の不平等から第三身分が分離し、後にフランス革命を主導する国民議会を形成するという結果を招きます。
そしていざ革命が起こると、国王は革命勢力と妥協するのではなく、あくまで敵対する道を選択し、列強に援助を求め国外脱出を企てた(バレンヌ逃亡事件)ことで、国民から見放されてしまい、1792年に王権停止、翌93年には処刑される運命となったのです。
ルイ16世といえば、フランス革命の末にギロチンで処刑された悲劇の君主として有名です。ギロチン刑は、二柱の間に吊るした刃を落とし、断頭台にうつ伏せに寝かせた罪人の首を落とす斬首刑の形態の1つです。
今の私たちの感覚からすれば残酷な刑に思えますが、18世紀はまだ「車裂きの刑」など目を覆いたくなるような、さらなる残酷な刑が行われていた時代なので、ギロチンはむしろ苦痛を与えない人道的な処刑法とみられ、フランスでは1981年までとわりと最近まで採用されていました。
しかし苦痛を与えない、というのはあくまですんなり首を切断できた場合の話であり、ルイ16世は肥満で首が太かったために、1回目で首を落としきれずに、2回目で切断されたと伝えられています。なのでもしも一度目のギロチンでまだ存命だった場合、わずかの間ではあるものの、彼は苦痛を感じていたことでしょう。
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