イタリアと日本の関係

 

イタリア料理は日本で最もポピュラーの外国料理の1つといえますし、食以外でも、日本に流通している映画・音楽・ファッションなどあらゆるジャンルで、イタリア文化は浸透しています。それもそのはず。日本とイタリア、地理的には遠く離れていますが、日本人とイタリア人の交流は、今から400年以上前の中世の時代にはすでに始まっていたのですから。

 

 

鎌倉時代

鎌倉時代にはまだイタリア人との本格的な交流はないものの、ヴェネツィア共和国出身のマルコ・ポーロ(1254年 - 1324年)が、著書『東方見聞録』にて、「中国から見た日本」について記述しています。これは日本を西欧に紹介した初の書物といわれ、『東方見聞録』において日本は「ジパング」と呼ばれ、「中国の東の海上1500マイルに位置する独立した島国で、大量の金が存在する」などと記述されています。

 

戦国時代

イタリア人と日本人の交流が本格的に始まった時代です。キリスト教の宣教師が来日するようになり、1582年には九州のキリシタン大名が、ローマ教皇の元へ使節団を派遣するなどしているのです。同時に日本の存在もヨーロッパの人々に広く認知されるようになり、イタリア派遣団がイタリアから持ち帰ったグーテンベルク印刷機により、日本で初めて日本語書物の活版印刷が行われています。

 

明治時代

明治日本が鎖国を解禁し、西洋への門戸を開いたのと同じ時期、イタリア統一によりイタリア王国が成立し、同国は日本の蚕産業の最大の取引先になりました。イタリア王国成立以後、日伊修好通商条約の締結(1866年)、岩倉使節団のフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィア等への派遣(1873年)など、日伊関係はより親密化していったのです。

 

戦時中

第二次世界大戦が勃発すると、日本は日独伊三国同盟(1940年9月締結)を結び、イタリア、ドイツと同盟関係になりました。しかし戦争末期になると、ファシスト政権を打倒し新体制に移行したイタリアに宣戦布告され、今度は敵対関係になってしまいます。このことで戦後、両国は断交状態になりましたが、1952年のサンフランシスコ平和条約の発効で外交関係が回復。同年11月15日にはローマに日本大使館が開設されるなど、再び交流がスタートしました。

 

戦後

戦後はイタリア料理がレストランや一般家庭に広まるようになり、「イタ飯」ブームが起こりました。イタリア料理は美味しい上、安価なので、カップルやファミリーで気軽に通える海外料理店として人気を博したのです。イタリア文化の浸透により親しみやすさもあり、政治的にも特にもめ事などなく、日伊関係はヨーロッパでも、かなり良好な状態に維持されているといえます。