1979年に行われたソ連のアフガニスタン侵攻は、ブレジネフ政権によるアフガニスタンの親ソ政権(アフガニスタン人民民主党)支援が目的です。
1978年にアフガニスタンでは共産主義政権のアフガニスタン人民民主党に対抗する武装蜂起が起こっており、人民民主党からの軍事介入の要請にソ連が答えた形になります。
ソ連の侵略行為にアメリカはじめ西側諸国の多くは反発し、経済制裁やモスクワオリンピックボイコットなどの対抗措置を行いました。これで60年代以降の緊張緩和(デタント)状態が解消され、新冷戦と呼ばれる対立の時代に戻ってしまいました。
ソ連軍の捕虜となったアフガニスタンの兵士(ムジャーヒディーン)達。
しかしアフガン側の抵抗で征服は思ったように進まず、ソ連軍は10年駐留した末に、撤退しています。そして莫大な軍事費は財政を酷く圧迫し、ソ連経済を停滞に追い込んだ為、アフガニスタン侵攻の失敗はソ連崩壊の先触れをなしたといえるのです。。
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