メディチ家が追放されていた時期はいくつかあり、それぞれ以下のような理由になります。
コジモ=デ=メディチ(在位:1434年 - 1464年)
ジョヴァンニの銀行業を継ぎ、1429年以来当主であったコジモが、1433年政敵により追放されています。翌年には後継統治者のアルビッツィ家が追放されたことで、復帰することができました。
ピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ(在位:1492年 - 1494年)
第一次イタリア戦争中の1494年、フランス軍の入城を無抵抗で許したピエロが、市民の怒りを買い追放されました。ピエロは追放中の1503年に死亡しましたが、ハプスブルク家の協力の元、ピエロの子ロレンツォと弟ジョヴァンニが、1512年フィレンツェに復帰しています。
クレメンス7世(在位:1523年 - 1534年)
メディチ家のジュリオが、教皇クレメンス7世として1523年に即位しました。しかしフランスと同盟を結んだことが、神聖ローマ皇帝の怒りを買い、1527年皇帝軍の侵攻を受け、追放されています。1530年にクレメンス7世とカール5世の和解により復帰しました。
|
|
|
|