メディチ家ががフィレンツェから追放された理由は?

メディチ家が一時フィレンツェから追放されていた理由はなんですか?

メディチ家が追放されていた時期はいくつかあり、それぞれ以下のような理由になります。

 

1433〜34年の追放

ジョヴァンニの銀行業を継ぎ1429年に当主になっていたコジモが、政敵により1433年に追放されています。翌年敵対するアルビッツィ家が追放されたことで、復帰することができました。

 

1494〜1513年の追放

メディチ家の最盛期を築いたロレンツォの子ピエロが、第一次イタリア戦争中の1494年、フランス軍の入城を無抵抗で許したため、市民の怒りを買い追放されました。ピエロは1503年に死亡しましたが、1512年にハプスブルク家の協力の元、ピエロの子ロレンツォと弟ジョヴァンニがフィレンツェに復帰しました。

 

1527〜30年の追放

1523年メディチ家のジュリオが教皇クレメンス7世として即位するも、フランスと同盟関係を結んだことが怒りを買い、1527年神聖ローマ帝国軍の侵攻を受け追放。1530年にクレメンス7世とカール5世の和解により復帰しました。