ナポレオン戦争(1802年〜1815年)後、ナポレオンにより一時的にでも統一されていたイタリアは、再び小国分裂の時代に戻りましたが、ウィーン体制のもとオーストリアの支配が復活すると、民族の独立と自由を求めるナショナリズムが台頭します。
これがイタリア統一運動の起点であり、豊かな農業生産力を背景に、イタリア最有力国家となっていたサルデーニャ王国が運動の旗振り役として名乗り出るようになったのです。
サルデーニャ王国の拠点は北イタリアであり、肥沃な土地に恵まれながらも、その国家運営には常にオーストリアからの圧力が付きまとっていました。イタリアの独立王国への昇格はサルデーニャ王国の悲願でもあったのです。
ミラノにおけるオーストリア支配に対する反乱「ミラノの5日間」を描いた絵/Felice Donghi作
イタリア各地で蜂起が起こるようになると、サルデーニャ王国はこれを好機ととらえ、1848年オーストリアに対して独立戦争を開始します。途中敗北を経験しながらも、1861年にはイタリアからオーストリア勢力をほぼ駆逐することができ、イタリア王国へと進化を遂げたのです。
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