フランス革命

フランス革命の根本的原因は、成熟の段階に達し、特権にしがみつく退廃した貴族たちと対峙することになった、ブルジョワジーの力である。

 

歴史家アルベール・ソブール(1914〜1982年)

 

フランス革命とは、1789年から1799年にかけてフランスで起きた世界史上最も有名な市民革命です。現代フランスの出発点であると同時に、フランス国内にとどまっていた革命運動がヨーロッパ全土に波及し、「アンシャン・レジーム(旧体制)」の崩壊を招いたことから、近代ヨーロッパ社会への移行を準備する重要な転機ともみなされています。

 

 

フランス革命の前史

フランス王ルイ16世は、ライバルのイギリスをけん制する狙いで、アメリカ独立戦争(1775〜83年)を軍事支援していました。結果的にアメリカは独立を達成し、「イギリスの版図を削ぐ」という目論みは叶ったものの、戦後のフランスは、戦前よりもむしろ苦しい状況に陥ります。

 

というのも、フランスは“太陽王”ルイ14世の治世以来、対外強硬方針のもと戦争を繰り返していたため、前代ルイ15世崩御の時点で財政破綻寸前の状態でした。そんな状況での独立戦争への莫大な支出は、ただでさえ危機的な財政をいっそう悪化させるものだったのです。

 

フランス革命の開始

三部会の開催

財政難打開のため何とか課税を行いたいルイ16世は、1789年5月、175年ぶりに全国三部会という身分制議会を召集します。しかし議決方法を巡り第一・二身分第三身分が対立。全く折り合いがつかない中、第三身分は三部会から分離し、以後「国民議会」と名乗るようになります。

 

球戯場の誓い

ルイ16世は議場を閉鎖することで国民議会の活動を妨害。それを受け第三身分の人々は、ベルサイユ宮殿の球戯場に集まり、「憲法制定まで何があっても解散しない」ことを誓い、国王政府との対決姿勢を鮮明にしました。

 

バスティーユ牢獄襲撃

国民議会と国王政府の対立が深まる中、89年7月14日パリにおいて、「専制政治の象徴」とされたバスティーユ牢獄襲撃事件が発生します。この事件を皮切りに革命は開始され、前年来の凶作飢饉で国王政府に対する不満が高まっていたこともあり、運動は一般民衆を巻き込み全国規模に広がっていきました。

 

 

フランス革命の経過

人権宣言

89年8月国民議会で、封建制の廃止とともに、人間の自由・平等・言論の自由・三権分立など革命の根本原則を盛り込んだ人権宣言(正式名称「人間および市民の権利の宣言」)が採択されました。この宣言はのちに近代市民社会の原理原則となり、ほとんどのヨーロッパ諸国が自国の成文憲法に盛り込むことになります。

 

王政の廃止

1791年6月20日、フランス国王一家がオーストリアへと亡命を図るも捕縛されるヴァレンヌ事件が発生。外国の反革命勢力に合流し、フランスに攻め入る計画が露呈したことで、王家は国民の信頼を完全に喪失します。

 

そして8月10日事件(チュイルリー宮殿襲撃)による王権停止後、国民公会にて正式に王政廃止が決定し、フランス史上初の共和政の成立が宣言されたのです。

 

山岳派による恐怖政治

共和政成立後、ロベスピエール率いる山岳派(ジャコバン派とも)が恐怖政治を展開し、政敵ジロンド派および反革命勢力を徹底的に粛清することで変革を推進していきました。

 

フランス革命戦争

1793年1月、幽閉されていたルイ16世は国王裁判にかけられ、国民への反逆罪で処刑されてしまいました。この報を受け、当然周辺国の王は危機感を抱きます。このままフランスで革命勢力の台頭を許せば、その影響は自国にも波及し、王政転覆、果ては自分がギロチンにかけられるまで十分あり得る話だったためです。

 

そこで諸王国は一致団結して第一次対仏大同盟を結成し、「危険思想」を断つべくフランスへの攻撃を開始。フランスも国家総動員法をもってこれを迎え撃ち、ヨーロッパ全域でフランス革命軍vs第一次対仏大同盟軍の武力衝突フランス革命戦争が開始されました。

 

姉妹共和国の建設

フランス革命戦争はもともと、周辺国の内政干渉に対する、フランスにとっての「自衛戦争」という性格が強いものでした。しかし93年に戦局が逆転すると、逆に国外へ軍を送り込む「征服戦争」に変貌します。

 

その結果、スイス,イタリア,オランダ,南ネーデルラント,ラインラントなど、ヨーロッパ各地にフランスの姉妹共和国が建設され、革命の柱といえる自由・平等などの理念が拡散されていったのです。

 

フランス革命の終焉

テルミドールの反動

1794年7月「テルミドールの反動」でロベスピエールが失脚し、翌95年には国民公会が解散し総裁政府が成立しました。

 

ナポレオンのクーデター

総裁政府は富裕層優遇の政策を行ったことで農民層の支持を失い、99年11月、イタリア遠征の成功で一躍名声を得ていたナポレオン・ボナパルトのクーデター(ブリュメール十八日)で転覆します。以後ナポレオンを第一統領とする統領政府が絶大な権力を握るようになり、およそ10年続いたフランス革命は終息をみたのです。

 

 

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