香辛料(スパイス)とは、コショウ、シナモン、ナツメグなど、料理に風味や色を加えたり、食欲増進や消化吸収を助けたりする調味料のことで、防腐や防臭という効果も持っています。
保存技術が発達していなかった古代ヨーロッパにおいて、新鮮な肉が食べられることなどほとんどありませんでした。しかし東方貿易(レヴァント貿易)でもたらされた香辛料により、肉の臭みが抑えられ美味しく食べられることがわかってから、香辛料はヨーロッパ人にとってなくてはならないものになったのです。
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東方貿易(レヴァント貿易)および香辛料貿易は、中世来、十字軍遠征にともない東方アジア世界への道が開けたことで開始され、当初はヴェネツィアやジェノヴァなどの地中海沿岸諸国がその担い手となりました。
しかし15世紀になると交易ルートの東地中海がオスマン帝国の支配下に入り、香辛料貿易に高い関税をかけるようになります。商売あがったりなヨーロッパの商人たちは香辛料獲得のための別のルートを探すようになりました。
熱帯・亜熱帯地方の植物の種子・果実・花などから採れる香辛料は、ヨーロッパでは手に入らず、貨幣の代用にもなるほど高級品として扱われました。
そうして開始されたのが大西洋への進出なのです。そして1488年にバルトロメウ・ディアスが喜望峰を発見し、1498年にバスコ・ダ・ガマが喜望峰回りのヨーロッパ〜インド航路を発見。オスマン帝国の支配圏を通らずとも、海路により香辛料貿易に直接介入できるようになりました。
しかし今度の香辛料貿易の担い手はイタリア沿岸諸国ではなく、ポルトガルやスペインなどの大西洋沿岸諸国へと移行していきました。
香辛料は料理の風味を豊かにし、食欲を増進させるだけでなく、防腐作用もありました。保存技術が未発達だった時代、新鮮な肉や魚を長期間保存することは難しく、香辛料は食材の腐敗を遅らせるために重宝されました。
香辛料には消化を助ける効果や、抗菌作用があり、医療面でも利用されました。例えば、シナモンやクローブは薬効が高く、風邪や消化不良の治療に使われました。これらの香辛料は、食生活の改善だけでなく、健康維持にも重要な役割を果たしました。
香辛料は非常に高価な貿易品であり、ヨーロッパでは貴族や富裕層のみが手に入れられる贅沢品とされました。コショウは「黒い金」と呼ばれるほど高値で取引され、ナツメグやクローブなども金と同等の価値を持つことがありました。これらの香辛料を手に入れることで、ヨーロッパの商人たちは莫大な利益を得ることができました。
ポルトガルは香辛料貿易の先駆者として、インド洋から直接ヨーロッパに香辛料を輸入するルートを確立しました。バスコ・ダ・ガマのインド航路の発見により、ポルトガルは香辛料貿易の中心地となり、リスボンは香辛料の取引で繁栄しました。ポルトガルは香辛料の一大供給地であるモルッカ諸島を支配下に置き、香辛料貿易を独占しました。
スペインは新大陸の発見と征服により、アメリカ大陸からもたらされる金銀とともに、フィリピンを通じてアジアの香辛料貿易にも関与しました。特にフィリピンのマニラは、アカプルコ貿易を通じて香辛料や中国製品がスペイン領メキシコに輸送される重要な拠点となりました。
17世紀になると、オランダとイギリスが香辛料貿易に参入し、東インド会社を設立してポルトガルとスペインの独占を打破しました。オランダは香辛料諸島を制圧し、ジャワ島のバタヴィア(現ジャカルタ)を拠点として香辛料貿易を支配しました。イギリスもインドや東南アジアに拠点を築き、香辛料の貿易で大きな利益を上げました。
香辛料貿易は、ヨーロッパの経済と文化に大きな影響を与えました。香辛料の需要と供給のバランスが貿易の発展を促し、ヨーロッパ諸国の競争が航海技術や地理学の進歩をもたらしました。また、香辛料貿易を通じて、異なる文化や宗教が交流し、世界の一体化が進みました。
香辛料貿易は、大航海時代の原動力となり、ヨーロッパの経済、社会、文化に多大な影響を与えました。香辛料の重要性は、単なる調味料としてだけでなく、医療や貿易、文化交流の面でも大きな役割を果たしました。香辛料貿易を通じて、ヨーロッパは世界の他の地域との繋がりを深め、グローバルな交流の基礎を築いたのです。
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