ガリレオ・ガリレイとは何をした人?〜近代科学の父〜


ガリレオ・ガリレイの基本情報

 

生年:1564年
没年:1642年
出身:ピサ
死没地:フィレンツェ
別名:「近代科学の父」
功績:「慣性の法則」、「落体の法則」の発見

 

ガリレオ・ガリレイ(1564年 - 1642年)はイタリアの物理学者で、慣性の法則、ピサの斜塔での実験による落体の法則の発見など様々な力学上の発見で知られる人物です。別名「近代科学の父」。彼はコペルニクスの地動説を支持したことでも有名で、自ら製作した望遠鏡により天体観察を続ける中で天動説の誤りに気付きました。しかし当時のキリスト教の教義に反する地動説は大きな反発を招き、1633年に宗教裁判で異端認定され自説の放棄を命じられました。その後はフィレンツェ郊外で軟禁生活を送りながら、不遇の晩年を過ごしています。彼の名誉が回復されるのは死後359年後、1992年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が当時の誤りを表明するまで待つこととなりました。

 

 

ガリレオ・ガリレイの功績

数々の天文学的発見

ガリレイは1609年自ら望遠鏡(ガリレイ望遠鏡)を製作し、天体観測により、木星の衛星や太陽の黒点、月のクレーター、銀河が星の集まりであることなどを発見しています。また研究を進める中で、当時の常識に逆らって地動説を提唱したため、異端審問にかけられた末、教皇庁から地動説の放棄を命じられています。

 

数々の物理学的発見

ガリレイは実験による検証で、慣性の法則や落体の法則を発見し、近代物理学の基礎を形成しました。ガリレイは実験により仮説を検証し証明する・・・という科学のあり方を確立した第一人者で、だからこそ「近代科学の父」と呼ばれているのです。

 

ガリレオ・ガリレイの死因

ガリレオ・ガリレイの死因は病死です。宗教裁判にかけられた後、失職のうえ自宅軟禁となり(後にアルチェトリの別荘に戻ることは許可される)、不遇の余生を送る中での死去でした。具体的な病名は熱病で、彼は当時77歳と高齢でしたから、体力が持たなかったのです。晩年には視力も失っていたといいます。

 

よくある誤解

 

ガリレイは地動説の提唱で宗教裁判にかけられ敗訴していますが、その結果はあくまで自説の封印を命じられたにすぎず、処刑されたわけではないので、誤解しないようにしましょう。