イタロ・バルボの基本情報
異名:「ファシスト四天王」
誕生:1896年フェラーラ
死没:1940年リビア
所属:黒シャツ隊
政策:「ファシスト四天王」の一角としてムッソリーニを支える。
イタロ・バルボ(1896年 - 1940年)はイタリアの軍人・政治家で、ファシスト政権下において側近としてムッソリーニを支えた「ファシスト四天王」の一人です。フェラーラ出身。
バルボは黒シャツ隊のリーダーとして、ムッソリーニの後継者筆頭に挙げられていましたが、ドイツとの距離感をめぐりムッソリーニと対立。第二次世界大戦ではナチスのポーランド侵攻を批判し、英仏の宣戦布告は正当として、ナチスと関係を深めるムッソリーニを批判的なスタンスをとっていました。そのため北アフリカ軍総司令官として本土から飛ばされた末に、1940年、リビア上空を飛行中、イタリア巡洋艦の対空攻撃を受け、死亡しています。政府は同士討ちによる事故と発表していますが、ムッソリーニによる暗殺説も未だ根強いです。
イタロ・バルボの死因は、表向きは「同士討ちによる事故死」ということになっています。当時バルボはリビアの司令官に着任しており、彼の乗る飛行機がリビアの飛行場に着陸しようとした時、「敵機と誤認されたため」イタリアの巡洋艦および飛行場からの対空砲火にあい撃墜され死亡した・・・と発表されているのです。
しかしこれに対しバルボの家族は「ムッソリーニによる暗殺」であると訴えました。彼がムッソリーニとの不和で、半ば「左遷」という形でリビア着任となったこと。ムッソリーニがリビアに訪れた時、バルボの死地に行くことを拒んだこと、などがこの説を強化しています。
そして2人の不和の理由はバルボがナチス・ドイツに極めて批判的で、イタリアがナチスと組むことに反対していた為で、バルボはフランス軍モロッコ司令官と会談した際、ドイツ軍を警戒する旨を相手方に伝えています。ムッソリーニはこれを密通、裏切りと解釈し、バルボ暗殺を決意したのでは・・・といわれているのです。
|
|
|
|