戦間期にファシズムが台頭した理由とは?

 

ファシズムとは「独裁政治」「権威主義」「思想・言論の制限」などの特徴を持つ政治体制のことで、イタリアのファシスト党やドイツナチスが代表的です。

 

世界恐慌以後、ヨーロッパに広がった社会不安を温床に勢力を拡大し、ファシズム国家の軍事拡大・侵略行為が第二次世界大戦の原因となりました。

 

 

平和協調ムードを一夜にして消し去った世界恐慌

戦間期初期、1920年代半ばのヨーロッパは意外にも希望に溢れていました。戦後の混乱がようやく収束し、各国の経済も上向きに。それにともない議会制民主主義が発達し、国際協調ムードの中、平和への道を順調に突き進んでいたのです。

 

しかしそんな希望を一夜にして絶ってしまったのが、1929年「暗黒の木曜日」に端を発する世界恐慌です。ヨーロッパは不況の嵐に覆われ、持てる国は自国産業保護のためブロック経済政策をとるなど、国際協調のムードなど吹き飛んでしまいました。

 

ドイツのファシズム台頭

持たざる国・・・とりわけドイツ経済は深刻な状態に陥り、自国の存立を掲げてマイノリティ排除や対外侵略、再軍備などを正当化するナチスが支持されるようになるのです。ドイツでは、ヴェルサイユ条約により課せられた賠償金の重圧やハイパーインフレーションにより、国民の生活は極度に困窮していました。アドルフ・ヒトラー率いるナチス党は、国家主義的なスローガンと強力なプロパガンダで民衆の支持を集め、1933年には政権を掌握しました。ナチスは、失業者に対する公共事業や軍需産業の拡大によって経済復興を図り、その過程で独裁体制を確立しました。

 

イタリアのファシズム台頭

一方、もともと不景気だったイタリアは世界恐慌の影響はそこまで大きくなかったのですが、ムッソリーニ率いるファシスト党が、革命を恐れる資本家・地主・軍部などの後援で独裁的な権力を握るようになり、恐慌前の20年代半ばにはすでに、言論・集会・結社・出版などの自由がないファシズム国家と化していたのです。ムッソリーニは、1922年の「ローマ進軍」により政権を奪取し、速やかに独裁体制を築き上げました。彼は、国内の反対派を弾圧し、国家統制経済を推進しました。また、民族主義的な政策と軍事力の強化を掲げ、エチオピア侵攻など積極的な対外侵略を行いました。

 

その他のヨーロッパ諸国におけるファシズムの広がり

ファシズムはドイツやイタリアだけでなく、その他のヨーロッパ諸国でも勢力を拡大しました。スペインでは、フランシスコ・フランコ将軍が1936年にスペイン内戦を引き起こし、ファシスト勢力が勝利を収めました。また、ハンガリーやルーマニアなどの東欧諸国でもファシズム政権が成立し、独裁体制が敷かれました。

 

社会不安とファシズムの関係

世界恐慌以後の経済的困難や社会不安が、ファシズムの台頭を助長したのです。人々は安定と秩序を求め、強力なリーダーシップを持つ政党に支持を集めるようになりました。ファシズムは、そのような時代の流れに乗り、国家主義的なスローガンとプロパガンダを駆使して権力を握りました。特に、失業者や低所得者層が多かった時期には、ファシズムの掲げる経済政策や社会福祉政策が支持を集めました。

 

以上のように、戦間期にファシズムが台頭した理由は、世界恐慌による経済的混乱と社会不安、そして人々の安定と秩序を求める心理にあります。ファシズムは、国家主義と独裁政治を掲げ、強力なリーダーシップを持つ政党が支持を集めた結果として台頭しました。この過程は、第二次世界大戦への道を開く重要な要因となりました。