イタリア統一運動の出発点は、フランス革命とそれに連なるナポレオン体制の構築にあります。ナポレオン戦争により、ナポレオンが一時的にでも大陸ヨーロッパ全土を支配したことで、イタリア含めヨーロッパ各地で自由主義や民族主義が勃興し、自由・平等・民族解放といった理念が拡散したためです。
もともとイタリアはオーストリアの支配下でしたが、フランス革命期、ナポレオンのイタリア遠征により、一時「解放」されています。多くのイタリア人はオーストリア支配を不満に思っており、ナポレオンがオーストリア勢力を駆逐してくれたことを歓迎したのです。
ナポレオンが失脚し、再びオーストリア支配が復活しても、カルボナリ、青年イタリアなどの政治結社が、ウィーン体制下の民族主義・自由主義の抑圧に抵抗を続けました。そして1848年にはオーストリア支配下の各地で反乱が勃発し、統一運動の火蓋が切られるのです。
1848年革命時、ミラノで起こったオーストリアに対する蜂起「ミラノの5日間」
統一運動は一朝一夕にはいかず、多くの挫折も味わいましたが、ガリバルディなど名将の活躍で徐々に進行していき、1861年にはついにイタリア統一が達成され、単一国家イタリア王国の樹立にこぎつけたのです。
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